中川越

Profile

1954年、東京都生まれ。雑誌・書籍編集者を経て、執筆活動に入る。古今東西、有名無名を問わず、さまざまな手紙から「手紙のあり方」を研究し、手紙の価値や楽しさを紹介する著書を中心に執筆している。近著に『夏目漱石の手紙に学ぶ 伝える工夫』(マガジンハウス)、『仕事で使える 手紙力の基本』(日本実業出版社)、『文豪たちの手紙の奥義―ラブレターから借金依頼まで』(新潮文庫)、『だまし絵の不思議な心理実験室』(河出書房新社)など。東京新聞にて『手紙 書き方味わい方』、ウェブマガジン「salitoté(さりとて)」にて『近道にない景色 自転車に乗って今日も遠回り』を連載中。

Book Information

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会うことによって、お互いが階段を駆け上がる 


――編集者と書き手の両方の経験をお持ちの中川さんは、編集者の役割とはどのようなものだとお考えでしょうか?


中川越氏: 書き手の立場としては、たくさんの時間をとって会ってくれる人がいいなと思います。今はメール1本で仕事を依頼したり、ウェブ上で打ち合わせをして、構成を練ったりすることもあります。そうした方法でも仕事はある程度成立するので、お互いに移動時間をとらなくていいから合理的ですよね。しかし、よりよい仕事を両者で作り上げていくためには、直接会って、顔と顔を突き合わせ、ときには一升瓶を空にしながら、仕事のことも、仕事とは関係ないことも話し合い、互いをよく知り、それを前提に相手の意向を斟酌したり、魅力をさらに引き出したりしながら、共同作業で漠としたイメージを少しずつ形にしてくプロセスが、非常に重要だと思います。だから、そういう時間を贅沢に使ってくれる人、私が編集者のときは、そういう著者、著者のときは、そういう編集者と仕事をするのが楽しみです。本は著者が名前を出しますが、実は本は編集者のもの、という言い方もできると思います。舞台に登場する役者や歌手はもちろんある種の才能を持っていますが、舞台や会場の雰囲気を作ったり、照明や音響を整えたり、興業全体をプロデュースするのは舞台小屋の小家主の役割です。小屋主とは、本でいえば編集者。役者や歌手やタレントや著者は、欠かすことのできない要素であっても、あくまでも素材の一つという言い方も可能です。その素材のよさをどう引き出し、どう観客や読者に見せていくかという工夫があってこそ、初めてその素材が輝きを発揮するのだと思います。

――電子書籍における編集者の役割とは? また、今の出版業界は、中川さんの目にはどのように映っているのでしょうか?


中川越氏: もちろん電子出版においても、編集者の役割は重要で、紙の出版の場合と、本質的にはまったく変わらないと思います。やはり著者と深くコミットして、互いをよく知り、互いの魅力を尊敬し合えるようにならなくはいいけないと思います。そのためには、時間も必要でしょう。しかし、今はある種の予定調和の中で、紙の出版も電子出版も、生産サイクル、あるいはヒット商品づくりのシステムが、この二、三十年間に、かなり確立されてきたような気がします。その生産サイクル、ヒット商品づくりのシステムの中に、ある程度の素材をポンと置くと、ある程度の販売が見込める。経営の安定化のためには、当然の流れとは思いますが、そうした予定調和を追及していくと、サイクルやシステムに適合させることだけが編集者の役割となり、中身の質を高めることは、二の次になってしまうということが起こりやしまいかと心配になります。私は編集者の立場である本を発注されてから、三年かがりで作ったことが何度かあります。さぼっていたわけではなく、いろいろ準備を進めていくうちに、月日はあっという間に過ぎていき、著者先生のおられた大学に何度も打ち合わせのために通っているうちに、大学の隣りの大きな敷地で大工事が始まり、その本の完成を見る前に建設工事がすべて終わり、巨大なイオンモールが完成してしまいました。そうした本は、七、八年前に作りましたが、今も着実に版を重ねています。とはいえ、今そうした悠長な本づくりが可能かといえば、すでに不可能となっています。これはかなり極端な例ですが、紙媒体の出版でも、ゆったりとした本づくりはできなくなっているので、制作においても生産効率のいい電子書籍においては、ますます安定的な生産性が重視され、編集者の最も重要な役割が、生産ラインを滞らせないようにすることになってしまうのかもしれません。そこが懸念されるところです。

朗読付きの電子書籍


――ご自身でも本を作ったり、販売されたりしているそうですね。電子書籍なども作られているのでしょうか?


中川越氏: 文化は出版文化も含めて、質が高まっていくことは重要だと思いますが、ある一部の勢力に独占されるのはよくないと思います。ものの見方や感受性の多様化が、制限されてしまうことになるからです。私は多くの人々が電子書籍によって、様々な価値を発信することに大賛成です。ですから自分で電子書籍を作りました。以前出した本をリニューアルして電子化したのですが、朗読付きのものにしました。ナレーションは音声合成ソフトを使いました。書籍も自分で印刷し、製本器まで自作して製本し、販売しています。生産手段を取得することによって、10000部売らなくてはペイしなかった本が、1000部でペイするようになることがあるのです。100万部売れる本も大切かもしれません。けれど、1000部しか売れない本も大切です。1000部も売れるということは、本当は大したことなのに、今のシステムの中では、重要視されないのはよくないことです。

――朗読を付けたのは、どういった理由からだったのでしょうか?


中川越氏: Kindleなど最近のツールは見やすくはなってきていますが、年をとると発光体をずっと見ているのはつらいのです。私は父から本の朗読をしてもらったという体験もありますし、朗読の世界も確かに魅力的だと思います。今、読み聞かせの図書館運動もありますが、これからは、中高年層が朗読ものを求め、音だけでなく文字も見ることのできる電子媒体が、有用性を高めていくに違いありません。先日も図書館のカウンターで、八十歳ぐらいの方が司書に、「この本の朗読はないでしょうか」と、分厚い小説を掲げて尋ねていました。必ずしも本ではなくてもいいという場合は、音声だけのCDを聴いて、車で文学を楽しむ方法もいいかもしれません。スピードラーニングではありませんが、実用書的な分野でも有効性は高いと思います。私の本に関しても何冊か、図書館で点字にしたり、音声化するための許諾を求められたことがありました。

――なぜ音声合成ソフトを使われたのでしょうか?


中川越氏: 声の質に個性があり過ぎるとイメージが変わってしまう場合もあるので、あまり声の個性が際立たない音声合成ソフトを使ってみました。原稿用紙10枚位のものを、ソフトの変換のボックスに入れると、あっという間に音声(データ)に変えてくれます。ナレーションをプロにお願いして本1冊を作るとなれば、すごく時間も費用もかかってしまいます。用途に応じて技術をフル活用すればいいのだと私は思います。私にとっては、紙の本と電子書籍の両方が必要です。そして、紙の本は、昔の本のように、製本技術者の確かな技術によって生まれた工芸品のような本が、すばらしいと思います。日本近代文学館が三十年ほど前に、近代文学の名著の復刻版を盛んに出版し、私の手元にも何十冊かありますが、当時の初版のまま再現され、製本の重厚感は、まさに圧倒的です。本を愛した人たちによって作られた本だということが、直に伝わってきます。電子媒体とともに、紙媒体の出版も、棲み分けとして重要で、紙媒体は合理性を追求するのではなく、クオリティーの追求を第一義として考える部分も、ぜひ残していってほしいと思います。

――電子書籍でチャレンジしてみたいことはありますか?


中川越氏: 電子書籍は基本的に文字中心ですが、私はページをめくると、そこに書かれている文章が、自然に音声として流れるといったような朗読機能を持った媒体の開発をしました。朗読されていく部分が、次々に色が変わったりして、どこを読んでいるかもわかるようにするのです。既成のソフトを組み合わせて、実験段階で成功しました。けれど、商品として安定化させることは私にはできません。電子絵本では、この機能を備えたものもあるようですが、これが一般化すれば、図書館で分厚い本を読むのが辛い、朗読してくれるものはないかと尋ねていた方も、きっと喜んで買い求めるはずです。

著書一覧『 中川越

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