人間としての豊かな時間。プロセスを楽しんでほしい
雑誌・書籍編集者を経て執筆活動を始められた中川越さんは、手紙に関する著作が多く、手紙のあり方を探求し、その魅力について紹介し続けています。著書に、『夏目漱石の手紙に学ぶ 伝える工夫』『文豪たちの手紙の奥義』『名文に学ぶ こころに響く手紙の書き方』『年賀状のちから』などがあり、『文豪たちの手紙の奥義』は大学入試問題にも採用されました。日本郵便株式会社から年賀状についての取材を受け、その時の談話が日本郵便株式会社発行の『年のはじめに触れ合うあう心―年賀状のいま、そしてこれから』の巻頭に掲載されました。
また自ら印刷・製本、電子出版の制作などを手掛け、手紙のなどの文書・文芸関係は「文月書房(ふみづきしょぼう)」から、スポーツや健康に関係するものは、「イー・スポーツ出版」から出版しています。書籍『150キロのボールを投げる!速い球を投げるための投球技術とトレーニング法』の制作に際してビデオ取材した動画を、80余本のビデオクリップに分けてYouTubeにアップしたところ、その閲覧数が総計200万回を突破するなど、新たな表現媒体の利用にも積極的です。
今回は、スポーツと文学について、「手紙」を探求し始めた動機、夏目漱石の手紙との出会い、そして、「手紙」の世界から見えてくる、今の日本に足りないことなどについて語っていただきました。
スポーツと文学、実は似ている?
――文学からスポーツまで、幅広いテーマで書かれたり、プロデュースをされたりしていますが、全く違う分野ですね。
中川越氏: スポーツにおいて、自分が持っているフィジカルな能力を、相手チームやそのときの自分のコンディションに応じて“どのように効果的にパフォーマンスとして発揮するか”ということと、人やものやことに接して感じたことを、“どのように文字として表現するか”ということは、その本質の部分では、あまり変わらないと私は思っています。どちらにおいても大切なのは、感受性です。スポーツでは、チームメイトの意図を瞬時に感じ取ること、相手プレーヤーの能力や戦略なども的確に感じていかなくてはいけません。そして、なによりもスポーツとは自分との対話なのです。日々刻々微妙に変化する自分の筋肉、コンディションを正確に読み取る感受性が欠かせません。そして文学もまた、人やものやことに接して感じ、その意味合いを探り解釈し、それを文章でアウトプットしていきます。これまでに、一流のアスリートや監督、コーチなどとお話してきましたが、そういった人たちは感受性において非常に鋭敏でしなやかで、試合や練習で感じたものをどうアウトプットしていくかということを、次々に発明していくのです。まるで詩人が新鮮な感受性を、新鮮な表現に託すかのようです。スポーツも文学も表現方法が違うだけで、私にとってその本質は、全く変わらないもののように感じられます。速球投手の球筋は、まさに一編の詩であり、すぐれた文芸表現は、160キロの剛速球のようにセクシーです。
――そういった「鋭敏でしなやかな感受性」は、どのようにして養われていくものなのでしょうか。
中川越氏: 自分との対話の中で、感受性は育まれていくものだと思います。アスリートなら、日々の練習において、ただ決められたメニューをこなすだけでなく、その都度、筋肉の動きや動作の質の微妙な変化を感じ取り、パフォーマンスを安定させたり、発展させたりするための試行錯誤を繰り返す中で、感受性はさらに研ぎ澄まされていくようです。そして、文芸においてもすぐれた表現者は、日々アスリートと同様に試行錯誤を繰り返し、自分の表現の質を感じ取り評価し、作品へとつなげていくもののようです。例えば夏目漱石などは、毎日のように手紙を書き、多いときには日に五通前後も書いて、新聞の連載小説を毎日書くための、ウォーミングアップにしていたようです。
――文学とスポーツで、共通して伝えるべきだと思うことは?
中川越氏: 文学もスポーツも、共通するのは詩です。あるいは劇的要素です。スリリングでシャープで、しかもしなやかで、明るさに満ちて、明日を感じさせるものこそが、文学やスポーツの本質であり共通点のように思われます。だから、話はちょっとそれますが、オリンピックやスポーツゲームでの開会式や入場時の演出やパフォーマンスには首をかしげたくなります。アスリートが日々自分との対話の中で鍛え上げた肉体こそが、詩であり歌であり、筋肉の躍動こそが音楽であり、炸裂する花火だということができます。それなのに、どうして歌手を連れてくる必要があるのか、花火を上げる必要があるのか。花火を花火で、詩を詩で、音楽を音楽で演出する必要がどこにあるのか、私にはよくわかりません。スポーツのすばらしさを演出するためには、160キロの剛速球が、唸りを立てて空気を切り裂く音について知り、それを人に伝えること、あるいは、100メートルを10秒内外で走るアスリートのフォームが、いかに美しいかを感じ、それを人に伝えるだけでいいのだと思います。その部分を正確にていねいに生き生きと伝えられたら、花火や歌手や踊りなどの演出より、はるかに効果的なアピールになるはずです。
独学で編集を学ぶ
――PVも自作されたそうですね。
中川越氏: 書籍『150キロのボールを投げる!速い球を投げるための投球技術とトレーニング法』、書籍『夏目漱石の手紙に学ぶ 伝える工夫』、書籍・DVD・CD『手紙遺産』のPVなどを自作し、YouTubeで流しています。もう30年以上フリーとして活動しているので、なんでも自分で作ります。才能貧弱なる者は、なんでもできないと、フリーとしてやっていけないのです。私がプロデュースして作ったスポーツの本は50冊ぐらいになりましたが、最近では本にビデオをつけるというケースも多くなりました。そんなとき、最初はプロの方にビデオ制作をお願いしていたのですが、制作過程において、なかなかこちらの意図が伝わらないということが何度かあり、ビデオの編集を自分で行うようになりました。当初私は、ビデオ、映像というものは極めて客観的な素材として認識していましたが、実は非常に主観的なものだということがわかりました。0.1秒前の場面を入れるか、入れないかにより、伝え得る内容が大きく違ってしまうことがあると知りました。例えばテニスのスイングだったら、スイング前やスイング後の、ほんのわずかな「間」が重要となります。ところが、ここは動いていないわけで、動作を示すために利用するビデオには必要ないと判断され、カットされてしまうと、伝えたいスイング総体のニュアンスが、かなり違ったものになってしまうのです。そういうことがなかなか伝わらなかったので、やはりできるだけそうしたニュアンスも正確に伝え得るものが作りたいと思い、映像編集は全くの素人でしたが、自分でやってみることにしたのです。
――独学だったのですか?
中川越氏: そうです。訳が分からないまま、ビデオ編集ソフトを買い込んで、まずはビデオクリップの作り方から覚え、自分が切りたい所で切り、次にスローモーションのかけ方を覚え、スローの程度も調整し、途中でストップモーションを入れたり、矢印や文字のテロップを入れたり、やがては音声合成ソフトも駆使して、自分で考えたナレーション原稿を音声化し、映像に合わせて音声ラインを載せ、ほぼイメージ通りの完成形を作り、それをもとにプロの編集の方に、正式にスタジオ編集してもらうようにしました。
――お父様はデザイナーだったとお聞きしましたが、どのようなお仕事をされていたのでしょうか?
中川越氏: 読売広告社の初代のデザイナーでした。もともとは尋常高等小学校を卒業して、すぐにエッチングによる地図製作の工房に丁稚奉公として入り、次に村松時計という時計の製作会社に職人として勤めるなどしました。その後、絵が好きだったこともあって、インパール作戦の生き残りとして戦争から帰り読売広告社に入ってデザインの方へ進み、今の実業之日本社で、挿絵描きも兼業していました。昔のデザイナーは、レタリングや文字などなんでもオリジナルで作っていて、折しもテレビ草創期で、テレビ番組の手書きのタイトルなども描いていたようです。勘亭流などといった芝居文字はもとより、ルーペや烏口を使い、細かい文字も、明朝、ゴシックにかき分けたりしていました。非常に手先が器用な人で、片手で折り紙の鶴を折ることもできました。
著書一覧『 中川越 』