「若者研究」のテーマを与えてくれた所長
――大学卒業後、博報堂に進まれたのは。
原田曜平氏: 日米学生会議にいた1つ上の先輩が情報通で、その人がいるゼミだからということで、マーケティングの世界で有名な村田昭治先生の弟子にあたる先生のゼミに入りました。博報堂に入ったのも、その先輩の影響からでした。
僕の就職活動の状況を見て心配してくれた先輩が食事に誘ってくれたのですが、羽振りが良くて、女の子もいるようで……(笑)。でも僕は博報堂を知らなくて、老舗のお菓子メーカーなのかな、などと思っていたのです。
面接時に「本当に、うちの会社が何をやっているかわからないの?」と聞かれ、「わかりません。本当はテレビ局でドラマを作りたかったのですが、ダメで今は行くところがないのです」と全部正直に話して、書いた脚本の話とか、世の中にうけるコンセプトとか、広告発想に近い話をしていたら「お前、面白いね」という感じで入社することができました。入社二年目に博報堂生活総合研究所に異動になりました。
当時の所長は、今は大学の教授をされていて、社内でも人望の厚い元トップクリエーターでした。「一ヶ月、街を自分で歩いて、自分はこのジャンルの専門家になりたい、というのを探してきてごらん」と指示を受けましたが、一ヶ月たち二ヶ月が経ち……経過報告で「全然まだです」と言うと「じゃあ、また一ヶ月行ってごらん」という感じで半年がすぎた頃、ついにテーマをお膳立てされました。
センター街の「おっさん」に
――どういうテーマだったのですか。
原田曜平氏: 年齢的にも近しい「若者」をテーマに研究してはどうかと言われました。なかなか決まらなかった方向性を指し示してくれた所長と会社のおかげだと思っています。本当にみんなから愛されていて、人格形成も含めて僕を見てくださいました。レポートの指導や、マーケティングの指導を受けても、レベルが全然違いましたよ。研究を重ねながらセンター街に足繁く通っていると、若者から「あのおっさん、なんか毎日いるぞ」と、ちょっとした有名人になっていました(笑)。
次第に若者と交流を持つようになり、彼らと自分たちの時代の違いが見えてくるようになりました。彼らは「空気を読んだり、友達に好かれたい願望」がすごく強い。「これが世代論というやつか、面白いジャンルだな」と思って、若者研究にハマッていきました。社内レポートもウケが良く、『プレジデント』と『中央公論』が見てくれて、若者論についての原稿依頼がきました。それで初めて文章を書いたのです。さらには若者についての本『10代のぜんぶ』を書くことになりました。