旅の面白さは、カーブの先の見た事の無い世界
チャリダー(チャリンコ・ライダー)、旅のエッセイスト、旅グルメ作家の石田ゆうすけさん。7年半かけて、87か国を走った自転車世界一周の体験がまとめられた『行かずに死ねるか!-世界9万5000km自転車ひとり旅』は、デビュー作にして国内のみならず、中国、韓国、台湾でも発売され大きな反響を呼びました。現在は執筆だけでなく「夢」「国際理解」「モチベーション」「食」をテーマに、全国の学校や企業で講演もおこなっています。「読者に元気を与える本を書きたい」と話す石田さんに、旅の魅力と本、読書への思いを伺いました。
本の中の旅人
――石田さんの旅行記には、能動的な臨場感を感じます。
石田ゆうすけ氏: 「追体験しているような気持ちになる」とよく言われます。僕は落語も好きなので、リズミカルで流れるような文体を心がけています。「読んでいるのにその気がしない」…いつの間にか自分が感じる事の出来る文章になるように、とことん練り直します。書いている最中も、その後の推敲そのものも好きなんです(笑)。
旅行記には色々な形があると思いますが、「読者が旅人を追っているか」「旅人になりきって自分が見ているようになるか」のどちらかだと思っています。僕は後者を目指しているので、気が付けば自分が食べ物の匂いを嗅いで、それを舌に乗せて味の広がりを感じている、というのを目指していますね。
――リアルタイムの情熱を、時が経つ紙面にどう落とし込むのでしょうか。
石田ゆうすけ氏: 推敲して臨場感を持たせるのは、一見反対のようなことで難しいところだと思います。下手さゆえの勢いというか、文章が洗練されるほど温度が低くなっていく感じがある。文章をどこまで磨けばいいのか、そこの葛藤があります。磨き過ぎれば流れてしまうし、粗ければひっかかりが多く読みにくくなります。
自転車での世界一周の話は3作出していますが、1作目はどうしても粗いですね。でもその一作目だから出来る粗さや勢いは、今では絶対に書けないものだと思っています。3作目の『洗面器でヤギごはん』が今の僕の一番のお気に入りですが、じっくり寝かせて醸成させた味があると思っています。読者の中には勢いが好きという方もいまが、どちらもありだと思うので、勢いもありながら醸成した深みもあるものを書きたいですね。
自転車から見える風景
――石田さんは、自転車乗りを見て「かっこいいな」と思ったことが旅に出るきっかけだったとか。
石田ゆうすけ氏: 僕の出身地である和歌山の白浜は観光名所で、本州最南端の潮岬を目指す自転車旅行者は、みな白浜を経由して行くのでよく見かけていました。子どもの頃から「かっこいいなあ」と憧れていましたね。僕の家は海側にありましたが、友達とは反対側の山奥に入って行って釣りをしていました。次第に欲が出てきて、釣り仲間4、5人で編隊を組んで(笑)、奥へ奥へと進んで行きました。あの頃、釣りに夢中だったのもありましたが、ある時計算してみると、100キロぐらい走ってました(笑)。
まだ周りは暗くて、その暗い空が白々と明けてくる自然の雄大な流れや変化を、子ども心に「気持ちいいなあ」と思っていました。釣りへの関心が薄れていってからは、自転車で自然を全身で味わう楽しさへとどんどん向かっていきました。感受性の穴が全部開いて、吸い込む感覚が自転車にはありました。この頃から僕と自転車との旅付き合いはスタートして、今でもずっと続いています。
――自然を全身で味わう、自転車ならではの快感を覚えたんですね。
石田ゆうすけ氏: 僕の場合、旅にはその感覚が根底に流れていますね。世界一周の旅に出発して1ヶ月ぐらいの頃、アラスカを走ってカナダに到着したのですが、辺りの景色がすごくきれいで感動した事を覚えています。その度の途中、新婚旅行のカップルに、「一緒に行きませんか」と誘われてレンタカーに乗って湖を見に行きました。
その湖へは、自転車で行くには少々遠く、諦めかけていました。そこへ思いがけない夫婦の誘いに内心ワクワクしていましたが、目的の湖に着いた瞬間、「なんだこれ」というような感じで、つまらなかったのです。
車の中からの風景は見え方が全く違っていて、自然がすごく小さいのです。ガラス越しだから映画を見ているような感じで、視覚のみで、自転車のように全身を使って味わう本当の感動を感じる事が出来ませんでした。けれども、その夫婦はその車窓の風景に決して落胆していませんでした。むしろ「きれい!」と感動していて、その時僕は「ああ、見ているものが違うんだな」と実感しました。その体験でますます「自転車っていいな」と思いましたね。
「言葉」の力を感じて
――旅行記を書くようになったのは。
石田ゆうすけ氏: 小さい頃から本は大好きで、自分でも書きたいという気持ちはありました。学生時代やサラリーマンになってからも、創作ものを書いていて、そういう憧れはあったのです。でも、それで食べていけるとは思っていませんでした。自転車の旅に出る前も、「一応何か形になればいいな」と思って、詩と絵でこの旅を表せないかなという企画も密かに持っていました。でも、本当にそれで食っていくことになるとは思っていませんでした。料理が好きなので、「旅から帰ったら、料理人になるか!」くらいに考えていました (笑)。
そういうわけで最初から記す為に旅をしていたのではありませんでした。僕が行っている旅を他の人たちに伝えたいと感じさせてくれたのは、僕のすきな開高健のエッセイ集でした。旅先のニカラグアのバーの土臭い雰囲気や、ラテンの人々の陽気を感じる中で、彼のエッセイ集『白いページ』を読んでいました。
最初の章には、水の話が書かれていました。何十もの岩場から落ちてくる水を飲むというシーンがあって、沢ごとに飲んで、どれが一番うまいか確かめるという、その描かれた情景が読んでいる自分にブワーっとよみがえってきたのです。その時に改めて文章の力を感じて、「言葉」がすごく魅力的に思えました。自分も、この旅の体験を伝えたいと感じたのです。
――石田さん自身は、どのように伝えたいと考えましたか。
石田ゆうすけ氏: 実は僕、大学時代に精神病院で働いたことがあって、心を病んでいる人たちをたくさん見てきました。病んでいる人たちを目の当たりにしながら「もっと光を当てられるんちゃうかな」というような葛藤が生まれました。
自転車は前に進んで行く手段だから、自己肯定感というか単純に前向きになれるエネルギーが出て、自家発電みたいな感じだと思います。自分でこいで自分でエネルギーを貯めて前へ進んでいく。その自分の感動を閉じこもっている人たちに届けられれば、家にいて、どこへも出られなくても、読むことで感動を体験できて、読み終わった時には世界や景色が違うものになるようなものがあれば、自分の存在にも意味ができると思います。そういうことを書こうと思いました。
――旅に出る前は会社員も経験されていますが。
石田ゆうすけ氏: 「行く」ために働いた、という感じもあります。どのみち僕は旅に出て戻ってきても、サラリーマンはもうしないと思っていました(笑)。やっぱり旅に行くのと一緒で、自分の全く踏み込まない領域に行くという感じでサラリーマンとして働いたのかもしれません。違う世界、遠くに行くことだけではなく、違う経験をするということも旅なのだと僕は思います。僕はずっとアウトドア派でアウトローな人生だったから、スーツを着たガチガチのサラリーマン生活は、僕にとっては大冒険でした。結果的に「やってよかったな」と思っています。旅一直線だけど、一度でも社会に出て、責任を負って仕事をした人と話していると、結構分かることもあります。そういう経験ができたのは良かったと思いますね。
チャリダーの動力源
――タフな旅だったと思うのですが、石田さんからは、意外にもガッツリした感じ(笑)を感じないのですが。
石田ゆうすけ氏: 僕は慎重派ですよ(笑)。あの旅も結局は自転車の旅ですから、本気の冒険かは分からないです。徒歩で全て行ってしまうような思いきり突き抜けた冒険もできないし、かといって電車旅では物足りない。自分の小ささが分かっているから、自分に貫録を付けたいという欲求もありました。もちろん、大胆なところもあります。「いってまえ!」というやけくそ根性で生きている部分もあります(笑)。
自転車で世界を周っている人たちは、みんな結構神経質だと思います。“同業者”である自転車乗りにはよく会いますが、みんな本当に真面目で、「同じだな」と感じますね(笑)。どこかにコンプレックスがあって、それを吹っ飛ばしたいというような思いがあって、旅はその裏返しで、「何か自分を変えたい」という欲求などがあるように感じます。普通に自転車でちょこちょこ旅行する人はいても、世界一周とかになると、極端な話ですよね。そこに持っていく、マイナスのエネルギーの裏返しみたいなところがあるという気はしています。
旅の魅力はドキドキ感
――結構危ない目にも遭っている様ですが、やめようとは思わなかったのでしょうか。
石田ゆうすけ氏: 一番大変だったのはペルーで強盗に襲われた時ですが、その時もやめようとは思いませんでした。一生の夢だったんです、自転車での世界一周は。その夢が中途半端に終わる方が怖かったです。途中から作家になりたいという明確な目標もできたので、そのためにも自転車で世界一周という目標を、中途半端な形で終わらせてはいけないと思いました。
実は社会のしがらみの中で生きている方が大変だったりして。そういう意味では、旅は楽ですよ(笑)。
――石田さんが世界一周をされている頃、日本はちょうどインターネットの黎明期でした。
石田ゆうすけ氏: 95年の26歳の時に出発して、3年で30歳までに帰る予定で旅に出ましたが、結果7年半旅をして、帰ってきたのは2002年の末です。まさにネットに関しては特に、浦島太郎感が半端ではなかったですね(笑)。通信革命の最中に旅に出ていて良かったと思っています。旅の形が今と違って、そう簡単に人とつながれないし、だからこそ再会した時の重みも違います。
――ネット環境による邪魔が無い旅が出来たんですね。
石田ゆうすけ氏: 通信手段は主に手紙でした。大使館で手紙を受け取るのですが、僕はこの感じが好きでした。また情報収集も今のようにネットで、というわけにはいかないので、一から全部自分で探すおかげで、おのずと現地の人との交流も増えます。考えるし、その結果ドキドキ感もあるし、行った先に何があるか分からないのが、やっぱり旅の楽しさだと思いますね。
野田知佑さんなども書いていますが、「カヌーの一番面白いところはカーブのところだ。曲がった先に違う景色が見えるのが楽しみ。だからカヌーの川ツーリングが好きだ」というのがあって、それは本当に同感するところで、やっぱり曲がった先に何があるか分からないから面白いのであって、全部Google Earthとかストリートビューとかで先に見てしまうと、実際の旅が単なる確認作業になってしまいますよね。
深く潜って見つけた「言葉」が力を与える
――旅のメモや記録はどうやって残されていたのでしょうか。
石田ゆうすけ氏: 基本的には日記をつけていました。旅を詩で表したいという思いがあったので、できごとは箇条書きで書きましたが、心の揺れ方は詩で残していました。その詩の1節が、当時の感情をよみがえらせてくれています。
『行かずに死ねるか! 世界9万5000km自転車ひとり旅』に書いているのですが、アフリカでおばさんがトマトをくれたのです。そのおばさんの目が「母の目」だったので、僕はその時グッときて泣いてしまいました。単にトマトをもらって泣きました、というだけではなくて、「母の目だった」と一言書いておくかどうかで、その時の心情や、その変化などを再現でき、ストーリーになるかならないか決まるのかなと思います。詩にするのは単純なことではなくて、漠然とした心の動きを深く追求して、そこに光を当てるような行為が詩を書くことだと思うのです。そういう努力が、今の文章に活きているのかなと思います。
――石田さんにとって「旅をする」ことと「書く」ことはどのような行為なのでしょうか。
石田ゆうすけ氏: 「掘っていく行為」でしょうか。闇の中を、掘って、掘って、掘って、それでようやく見つけた時、すごく気持ちがいいんです。必死な思いをして、奥へ奥へと潜っていって、つかまえた言葉が恐らく何か感動を与えるものになるのかもしれません。普通の取材で原稿を書いている時も、サラッとすぐにできたものは、やはりサラッと流れてしまうだろうと思うのです。だから、一旦仕上げて「これじゃない、もっと奥の言葉」といって掘り返していくようにしています。
文章の掘り返し作業というのは、自分自身でも、時間をおいて読むなりしてある程度客観性を持たせる事は出来ますが、僕の場合は他人に読んでもらうことも多いです。嫁さんにも読んでもらうし、あと友達とかに「ちょっと読んで」と頼みます。嫁さんにお願いしているのは、単純に「つまる」ところと、意味不明なところや浮いているところを指摘してもらうこと。
その奥にある言葉は、相手に掘られるものではなくて、僕の中から掘り返して探します。人が読んでいて、もやもやを感じていたのが、パーンと言葉を当てられて「あ、そういうことだな」と思う快感があると思うのです。それが力を与える言葉になるのかもしれないと思います。
ですから独り善がりなものは絶対に嫌です。常に気にしているのは「自己満足になってないかどうか」ということなので、読者のことを考えるようにしています。関西人というのもありますし、もともと人を喜ばすのが好きなんですね(笑)。僕は「僕を見てくれ」というような旅行記は書きたいとは思いません。読んでいる人が僕にスッと憑依して、一緒に旅をしたりする、そして色々なものを体験して、見て感じることができる、そういうものにしたいと思います。
前に踏み出す原動力になる「本」を
――読み手としてはいかがですか。
石田ゆうすけ氏: 新しい本を買う時は、人の紹介や書評とかを参考にしたりしますが、ネットではあまり買いません。仕事で使う本を急ぎで買う時は、ネットで買いますが、Amazonとかで「こんな人はこれを読んでます」というのを見て、買う事はしません。やっぱり、書店に足を運び、自分で手に取らないと買う気がしないのです。
書店というのは出会いの場だと思います。だからネットの「こんな人はこれを読んでます」というのも、それを仮想して作られていると思うのですが、僕は古い人間だから、あれは肉感に乏しいのです。書店での出会いの方が強い縁を感じますし、本との引力を感じます。
――石田さんにとって「読書」とは。
石田ゆうすけ氏: 暇な時間ができれば、本を読んでいます。どんどん自分が広がっていく感じは、旅と一緒ですね。自分も、ものを書いていて、自分と同じ世界しか見ていなかったらその世界で終わってしまうけど、違う世界を見れば、自分に新しく息が吹き込まれてきます。それは旅と同じで、違う栄養を入れることだと思います。だからビタミンみたいなものですね(笑)。
それと、読書という行為そのものも、ひとつの世界の旅だと思います。「経験」と「読書」はまた全然違うものだと思いますが、違う空気を入れるという点だけ見れば、同じことだと思うのです。だから前はストーリーばかり気にして読んでいましたが、今は言葉に触れることが面白く感じています。
――石田さんの楽しみにしている本は、どんなものですか。
石田ゆうすけ氏: 僕は、吉村昭さんとか熊谷達也さんの本が好きで、最近は『漂流』とか、『ゆうとりあ』を読みました。とくに好きなのはカズオ・イシグロさんで、『夜想曲集』という5話くらい入った短編集のラストの小説だけ読んでいないのです。理由は、読み切りたくないから(笑)。だからカズオ・イシグロの新作をずっと楽しみに待っています。
周りの人から勇気をもらい、新たな挑戦もしてみたい
――書き手の影響力を感じますね。
石田ゆうすけ氏: 僕自身、教師をやっている友達に誘われて、初めて講演をしたのです。そこの生徒のなかに、普通学級では勉強についていくのが難しくて、家でもテレビゲームしかしていない子どもがいました。その子どもが僕の講演をきいた翌日に「自分も頑張れるかな。ちょっと俺も頑張ってみるわ」と言って、自分でテレビゲームを全部売って、参考書を買ったそうです。そうやって彼は、中学2年でやっと九九を覚えることができたのです。その子は、たぶん頑張る能力があったのでしょうね。そこから高校の進学校に入って、さらに頑張って国立大学にストレートで合格したのです。彼自身の力でやったことなので、僕が彼の人生を変えたなどとは全然思いません。
――きっかけになった、と。
石田ゆうすけ氏: そうだったらいいなと。それに講演をした僕自身が勇気をもらえました。だから自分の作品や行為で人が元気になれるのであればいいなと思います。とにかく前に足を踏み出したら何か開けるものがあると思うし、その背中をちょっと押せるものになれればいいと思います。
食べ物のことを書いている時が今は一番楽しい時間なので、食べ物関係のこともどんどん書きつつ、今後は新しい挑戦として、創作、フィクションを書いていこうと思っています。講演のときのように、僕の文章が誰かのきっかけになれば幸せだなと思います。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 石田ゆうすけ 』