「言葉」の力を感じて
――旅行記を書くようになったのは。
石田ゆうすけ氏: 小さい頃から本は大好きで、自分でも書きたいという気持ちはありました。学生時代やサラリーマンになってからも、創作ものを書いていて、そういう憧れはあったのです。でも、それで食べていけるとは思っていませんでした。自転車の旅に出る前も、「一応何か形になればいいな」と思って、詩と絵でこの旅を表せないかなという企画も密かに持っていました。でも、本当にそれで食っていくことになるとは思っていませんでした。料理が好きなので、「旅から帰ったら、料理人になるか!」くらいに考えていました (笑)。
そういうわけで最初から記す為に旅をしていたのではありませんでした。僕が行っている旅を他の人たちに伝えたいと感じさせてくれたのは、僕のすきな開高健のエッセイ集でした。旅先のニカラグアのバーの土臭い雰囲気や、ラテンの人々の陽気を感じる中で、彼のエッセイ集『白いページ』を読んでいました。
最初の章には、水の話が書かれていました。何十もの岩場から落ちてくる水を飲むというシーンがあって、沢ごとに飲んで、どれが一番うまいか確かめるという、その描かれた情景が読んでいる自分にブワーっとよみがえってきたのです。その時に改めて文章の力を感じて、「言葉」がすごく魅力的に思えました。自分も、この旅の体験を伝えたいと感じたのです。
――石田さん自身は、どのように伝えたいと考えましたか。
石田ゆうすけ氏: 実は僕、大学時代に精神病院で働いたことがあって、心を病んでいる人たちをたくさん見てきました。病んでいる人たちを目の当たりにしながら「もっと光を当てられるんちゃうかな」というような葛藤が生まれました。
自転車は前に進んで行く手段だから、自己肯定感というか単純に前向きになれるエネルギーが出て、自家発電みたいな感じだと思います。自分でこいで自分でエネルギーを貯めて前へ進んでいく。その自分の感動を閉じこもっている人たちに届けられれば、家にいて、どこへも出られなくても、読むことで感動を体験できて、読み終わった時には世界や景色が違うものになるようなものがあれば、自分の存在にも意味ができると思います。そういうことを書こうと思いました。
――旅に出る前は会社員も経験されていますが。
石田ゆうすけ氏: 「行く」ために働いた、という感じもあります。どのみち僕は旅に出て戻ってきても、サラリーマンはもうしないと思っていました(笑)。やっぱり旅に行くのと一緒で、自分の全く踏み込まない領域に行くという感じでサラリーマンとして働いたのかもしれません。違う世界、遠くに行くことだけではなく、違う経験をするということも旅なのだと僕は思います。僕はずっとアウトドア派でアウトローな人生だったから、スーツを着たガチガチのサラリーマン生活は、僕にとっては大冒険でした。結果的に「やってよかったな」と思っています。旅一直線だけど、一度でも社会に出て、責任を負って仕事をした人と話していると、結構分かることもあります。そういう経験ができたのは良かったと思いますね。
チャリダーの動力源
――タフな旅だったと思うのですが、石田さんからは、意外にもガッツリした感じ(笑)を感じないのですが。
石田ゆうすけ氏: 僕は慎重派ですよ(笑)。あの旅も結局は自転車の旅ですから、本気の冒険かは分からないです。徒歩で全て行ってしまうような思いきり突き抜けた冒険もできないし、かといって電車旅では物足りない。自分の小ささが分かっているから、自分に貫録を付けたいという欲求もありました。もちろん、大胆なところもあります。「いってまえ!」というやけくそ根性で生きている部分もあります(笑)。
自転車で世界を周っている人たちは、みんな結構神経質だと思います。“同業者”である自転車乗りにはよく会いますが、みんな本当に真面目で、「同じだな」と感じますね(笑)。どこかにコンプレックスがあって、それを吹っ飛ばしたいというような思いがあって、旅はその裏返しで、「何か自分を変えたい」という欲求などがあるように感じます。普通に自転車でちょこちょこ旅行する人はいても、世界一周とかになると、極端な話ですよね。そこに持っていく、マイナスのエネルギーの裏返しみたいなところがあるという気はしています。
旅の魅力はドキドキ感
――結構危ない目にも遭っている様ですが、やめようとは思わなかったのでしょうか。
石田ゆうすけ氏: 一番大変だったのはペルーで強盗に襲われた時ですが、その時もやめようとは思いませんでした。一生の夢だったんです、自転車での世界一周は。その夢が中途半端に終わる方が怖かったです。途中から作家になりたいという明確な目標もできたので、そのためにも自転車で世界一周という目標を、中途半端な形で終わらせてはいけないと思いました。
実は社会のしがらみの中で生きている方が大変だったりして。そういう意味では、旅は楽ですよ(笑)。
――石田さんが世界一周をされている頃、日本はちょうどインターネットの黎明期でした。
石田ゆうすけ氏: 95年の26歳の時に出発して、3年で30歳までに帰る予定で旅に出ましたが、結果7年半旅をして、帰ってきたのは2002年の末です。まさにネットに関しては特に、浦島太郎感が半端ではなかったですね(笑)。通信革命の最中に旅に出ていて良かったと思っています。旅の形が今と違って、そう簡単に人とつながれないし、だからこそ再会した時の重みも違います。
――ネット環境による邪魔が無い旅が出来たんですね。
石田ゆうすけ氏: 通信手段は主に手紙でした。大使館で手紙を受け取るのですが、僕はこの感じが好きでした。また情報収集も今のようにネットで、というわけにはいかないので、一から全部自分で探すおかげで、おのずと現地の人との交流も増えます。考えるし、その結果ドキドキ感もあるし、行った先に何があるか分からないのが、やっぱり旅の楽しさだと思いますね。
野田知佑さんなども書いていますが、「カヌーの一番面白いところはカーブのところだ。曲がった先に違う景色が見えるのが楽しみ。だからカヌーの川ツーリングが好きだ」というのがあって、それは本当に同感するところで、やっぱり曲がった先に何があるか分からないから面白いのであって、全部Google Earthとかストリートビューとかで先に見てしまうと、実際の旅が単なる確認作業になってしまいますよね。