震災で変化した出版界。転換期の2年間
――10年連続10万部という記録も、そういう想いの結晶だと思います。
晴山陽一氏: けれどもその記録も、東日本大震災が起こって、途絶えてしまいました。東北の書店が大きな打撃を受け、Amazonの倉庫も影響を受けたと聞いています。用紙の値段が高騰し、それをカバーするために印税率を引き下げる出版社も出てきました。出版社の地力が低下し、刷り部数を減らしたり、企画の審査もシビアになり、広告の仕方も変わりましたね。昔は新刊の広告を全部出していた出版社も、売れる本に絞って広告を出すようになりました。
企画は通りにくくなるし、厚い本が売れないため定価を下げて薄い本が好まれる。すると、定価が下がるので、ますます作家の状況は厳しくなります。同じ仕事をしていても半分しか稼げなくなるし、色々なことが重なって「もう廃業に向かっていくのかな」と思うほどの暗い年でした。それで翌2012年は、今まで自分ができなかったことを色々やってみようと思いました。執筆に追われていると、意外と英語を話す機会がないということに気づいたのです。実際に英語を話すことによって、これまで書けなかった本が書けるかもしれないと思いました。それで、毎日何度もSkype上で外国人と英語で喋るということを集中的に行いました。
2013年には「100人の有名な英語の先生と会おう」というスローガンを掲げました。「多くの優秀な先生のセミナーに参加し、人気のある著者とじかに会って、彼らが何を考えているのかを知ろう」と思ったのです。そこで気づいたのは、セミナーに行くこともせずに悶々と苦しんでいる「見えざる英語学習難民」の存在でした。TOEICで300点ぐらいで低迷してもがいている人たちが何千万人もいる、ということがセミナーに参加することで逆に見えてきたのです。「その何千万を相手に、私だったらたくさんの本を書けるな!」ということに気が付いてからは、企画も湧きやすくなり、出版社からの依頼も劇的に増えました。
人生を創造するテクニックでみんなを明るくしたい
――「みんなを喜ばせたい」というライフワークを再認識できたのですね。
晴山陽一氏: スランプが続き、このままじゃダメだと思って根本から考え直すという2年間を経て、自分のテーマを再確認しました。今年は1月から、出版や執筆について指導する塾も始めました。ベネッセの「著者大学」の教授にも就任しました。これはSNS中心で展開する大学で、MOOCsというアメリカで今流行りだしているオンライン大学のような感じです。ひたすら書斎に籠もって本を書いていた3、4年前とは全く違う活動の形が見えてきており、今後はそれがどんどん広がっていくと思います。
私の試行錯誤の結果得られた、「人生を創造するテクニック」で、この国を明るくしていきたいと願っています。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 晴山陽一 』