「成長」「チャレンジ」「攻めの姿勢」
インフィニティ株式会社代表を務める、経営コンサルタントの岩崎日出俊さん。そのキャリアは夢に描いた外交官ではなく、銀行マンとしてスタートしました。凄腕のアルバイト学生時代のエピソードから、読書について、最新刊のお話まで、岩崎さんの想いをたっぷりと伺ってきました。
共に成長する喜び
――インフィニティ株式会社のお仕事について伺います。
岩崎日出俊氏: 経営コンサルタントとしてあげた収益をベースに、スタートアップと言われる未公開会社への投資を行っています。コンサルタントとしては、上場体制を整えるサポートや、M&Aのアドバイスをやっています。海外展開の相談にのることもあります。なかには十年以上契約していただいているお客様もいて、私も社長さんと一緒に悩んで、役員会に出席して意見を言います。取締役の方々や部長クラスの人々が言いにくいことも社長の目を気にせずに、本当に思ったことをバンバン言います(笑)。私はそういう役割なのだと納得しています。
自分でゼロから会社を立ち上げたので、やはり紆余曲折はありました。リーマンショック直後は厳しい状況でした。投資銀行を辞めて始めた同業の仲間たちも、リーマンショックで会社がうまくいかなくなった人たちが結構いたように思います。しかし一方で一年以上前から兆候があり、会社としてはそれに備えていましたので、お客様にもそういう情報はきちんと提示できていたと思います。
――どういうところにやりがいを感じていますか。
岩崎日出俊氏: 私は日本興業銀行(以下:興銀)時代、五年ほど審査部にいて、ギリギリの経営をしている企業をたくさん見てきました。私の例ではないのですが、YKK創業者の吉田社長が「興銀の富山支店から融資を受けることができて、当時の最新鋭の機械を導入することができた。興銀の富山支店長のおかげで、今のYKKがある。興銀に足を向けて寝られない」と『私の履歴書』にも書いていました。これから成長したいとか、倒産の危機に直面している会社を救うとか、そういう会社の手伝いをすることにやりがいを感じています。
印刷工場にデパ地下、アルバイトをしながら目指した外交官
――銀行マンとして、そのキャリアがスタートしたということですが。
岩崎日出俊氏: 高校生の頃は、生きる目的や自分の存在意義というようなことを考えていました。加藤諦三さんの本も結構読みましたし、早稲田の哲学の先生で、樫山欽四郎さんが書いた『哲学概説』という本も読みました。それで「自分の死後も、自分が考えていたことや、成し遂げたことは実は残っていくのだ」と思うことができて、少しは心が落ち着きましたね。
日本と太平洋戦争について考えたりもしていました。その中で、軍部に対抗して当時の外交官の人たちは、外交ルールに則って最後まで戦争を防ごうとしていたことを知ったのです。それで、将来日本が道を踏み外すようなことがあっても、外交の世界にいれば食い止めることができるのではないかと。そこに自分の存在価値を見出して、早稲田大学では政治経済学部に進みました。政治学科に行って外交官になろうと思ったのです。
学生時代はずっとアルバイトをしていました。いろんな職種をやりましたよ(笑)。印刷工場では、製本された本を全部手でダンボールに詰め込んだり、いらなくなったダンボールを2秒くらいで平らにする作業は、誰よりも早くできました。休憩のサイレンが鳴った時のうれしかったこと……それから百貨店で、派遣の店員さんもやっていました。今でもテープを一切使わない贈答用の包装はプロ級ですよ(笑)。
デパ地下で、おでんを売っていたこともあります。一つ一つおでんの値段を見て計算してレジ打ちするのですがそれが苦手で苦手で……、売り場に長くいる女性に助けてもらっていました。デパートのあるコーナーでは、発注から在庫管理まで一人でやっていたこともあります。通訳案内業の試験に合格して、免許証を取得して外国人のガイドや通訳もやっていました。これだけアルバイトをやっていたので、興銀に入行した時は、給与が三分の一くらいに減りました(笑)。
――外交官試験の勉強はいつやっていたんですか(笑)。
岩崎日出俊氏: 大学三年の後半から半年間は、ちゃんと外交官試験に向けて一日16時間近く勉強しましたよ(笑)。おかげで合格したのですが、最終面接で面接官や外務省の考えと意見が合わなくて、自分の思うところを正直に話していたら、通りませんでした。長年思い描いた外交官への道が閉ざされてどうしていいかわからなかった時に「興銀に行けば、すぐに留学させてもらえる」と聞いて、勉強させてもらおうと思って興銀を受けました。面接試験は全部英語で、「国連の理念と現実について、英語で話してください」という内容でした。でも私はガイドもやっていたし、外務省の試験対策で国連憲章も覚えていたので、問題ありませんでした。
興銀に入社してすぐの五月に、留学生試験を受けてスタンフォード大学に留学しました。留学当初は大変でしたね。スタンフォードのビジネススクールは発言の貢献度で評価されます。発言に関してはさほど苦ではなかったのですが、英語を読むことがとにかく大変でした。一冊の本を三十分間で読んだ後にディスカッションをするのですが、みんなと読むスピードが全然違って、自分は半分くらいしか進んでいませんでした。十月下旬に行なわれた最初のミッドタームの試験の時は、怖くて寝られませんでしたよ。でも最初の試験で成績がとれると、様子もわかってきて、後は楽になりました。
学生時代は外交官になって世の中に貢献したいと思っていましたが、アメリカで二年間勉強してみて、役所や国が主導していくやり方は、それほど正しいことではないと思うようになりました。むしろ個々人が創造性を発揮して頑張る。国の役割は、そういう頑張る土俵を作ることだという意識に変わっていったのです。それで、外交や政治の世界というより、マーケットの世界でやっていきたい、と思うようになりました。自分が市場主義なり資本主義の中で、どう頑張って付加価値を出していくか、ということに興味を持つようになりました。