自転車エバンジェリストの使命
自転車をこよなく愛する疋田智さん。「自転車ツーキニスト」として、自転車関連の著書が24冊。ラジオ「ミラクル・サイクル・ライフ」への出演や講演などもおこなっています。「自転車は楽しいだけでなく、様々な問題解決にも有効だ」という疋田さんに、幼い頃からの自転車との思い出から、執筆に込められた想い、日本が抱える環境整備の問題点まで伺ってきました。
各地で広がる自転車の町おこし
――疋田さんの「自転車ツーキニスト」としての活動を伺います。
疋田智氏: 自転車関連の専門誌など、雑誌の連載を月に七本ほど抱えています。また学習院大学生涯学習センターでは、「自転車学」の講座を持っています。NPO法人自転車活用推進研究会の理事として講演をしたりもするのですが、最近多くなっていますね。自転車に対する関心が高まり、ルールとマナーの周知、またインフラをどう整備していくのか自治体の方から報告や相談を受けることが増えています。その理由に観光面での高い経済効果があげられます。
観光白書では、都道府県の観光客の伸び率をランキングにして出しています。最新版の平成25年度を見ると、一位が愛媛県、五位が広島県となっています。実は愛媛と広島は、本州と四国を結ぶ本州四国連絡道路である「しまなみ海道」の両端なんです。そこにある長大なサイクリングロードは、世界的にも注目されています。ミシュランのガイドの世界4大サイクリングコースの一つに選ばれていますし、CNNテレビでは、7大サイクリングコースの一つとして紹介されました。最近は、台湾、フランス、オランダ、ドイツ、オーストラリアなど、様々な国の方が訪れています。もちろん国内でも「しまなみ海道」はサイクリストにとって憧れの地。一度は走りたいという方が大勢いますので、そうした人々が国内外から人が集まっているのです。それを知った他の自治体も「自転車で町おこしを!」ということを考え始めています。
――どんな町おこしをされているのでしょうか。
疋田智氏: 鳥取県の三朝温泉では、町おこしの一環として、第一回エンデューロレース「温泉ライダーin三朝温泉」を開催しました。これはなかなかうまい具合にいったと思います。私は、そのアドバイザーのひとりとして参加しました。実は温泉エンデューロは、石川県加賀市が発祥の地で、三朝温泉の前に栃木県さくら市などでも実績があり、加賀市のスタッフたちがノウハウを広めようとしているところなのです。今後も三朝に続く場所を探していこうとしているんですよ。
自転車ブームの中で
――疋田さん自身も楽しんで……。
疋田智氏: 楽しんでいるとは思いますよ、特に仕事として(笑)。たとえば本業のテレビの仕事はチームプレイの面白さがあります。一方で自転車について活動したり執筆したりすることは孤独なのですが、それを楽しんでいますね。小さい頃から自転車が友だちでした。私はいわゆる転勤族で、小学校3年生の時に宮崎に越したのですが、最初のうちは友だちがいなくて、自転車が友だちという日々があったわけです。ただ、田舎だから道は広いし車も少ないし、子供にとっても良いサイクリングライフだったわけです。やがて友だちができて、一緒に色々なところへ行ったり来たりするようになりました。
最初は巨大変速機などで満艦飾になった「ジュニアスポーツ車」に乗っていましたが、やがて「ジュニアスポーツ車は幼稚っぽいんだ」と思うようになります。本当の自転車というのは、お兄さんたちが乗っている、ドロップハンドルの自転車だと知り、小学校六年生になってようやくロードマンの中古を買ってもらいました。
なんで買ってもらえたのかなあ。あんまりおもちゃとか買ってくれる親じゃなかったんですけどね。自転車だけは、悪い趣味じゃないと思ったのかもしれません。家族でサイクリングに行くことも多かったのです。妹とお袋はママチャリだったので、遠くへは行きませんでしたが、親父とは中学校二年生の時に、「九州4分の1周」(笑)旅行をしました。あれは良い思い出ですね。親父はスポルティフというタイプのもの、私はランドナーという種類で、テントや寝袋など、とにかく荷物をいっぱいつけて行きましたね。
――楽しい自転車ライフですね。
疋田智氏: 経済が低成長時代に突入し、公害や交通事故などの「高度成長の弊害」が言われていた頃です。「環境を考えて、自転車に乗りましょう」というスローガンが、エコロジーとbicycleをかけた「バイコロジー」という言葉で提唱されたりもしました。サイクリングブームは昭和40年代中頃から50年代中頃ぐらいまででしょうか。そこから段々落ち着いていきました。ブームが去ったあとも高校生までは乗っていたんです。でも大学に入ってからは、乗らなくなりました。
再び自転車の世界に
――どうして乗らなくなったんでしょう、という質問は野暮でしょうか(笑)。
疋田智氏: やっぱり一番の理由は、助手席がなかったことでしょう(笑)。ま、それはさておき、当時はバブル手前で「軽く!」「明るく!」「浮ついていなければ!」と、常に強制されていたような時代だったんですよ。私は生きにくかったですね(笑)。世の中はカネがあまりはじめていたし、自転車なんて「ダサいもの」で「ビンボ臭いもの」になってしまった。自転車に興味を持つ人も少なかったんです。そんな中で、次第に私も自転車に乗らなくなり、幼い頃に抱いた自転車で日本一周する夢も失なっていました。
――それが、どうしてまた戻ってこれたのでしょう。
疋田智氏: 就職先が決まった大学最後の休み、夢だった自転車の旅ができる最後の機会だと思い、自転車を買い直しました。サイクル野郎スタイルで東京から宮崎日南までずっと走りました。ところがまた長い自転車休業期間に入ります。テレビ局に就職して、最初はADとして働いていました。とても忙しく、28歳ぐらいまでずっと乗らない日々が続き、学生時代に買った自転車は、駐輪場にほこりだらけサビまみれの状態になっていました。するとある日、マンションの住民総会で「誰も乗らないような汚い自転車は捨ててしまいましょう」となって。これはヤバいと(笑)、磨き直して格好良くなった自転車を見て、またヤル気が涌いてきました。
けれども相変わらず仕事は忙しいし、乗る時間がない。さてどうしたものかと考えたあげく行き着いたのが、通勤の時間でした。職場まで電車で50分ぐらいの場所でしたが、試しに自転車で走ってみると35分足らずでたどり着けました。「こりゃ速いや」と、自転車通勤生活がスタートしました。始めたら良いことばかりで、84キロあった体重は67キロまで減りましたし、コレステロール値や中性脂肪値など、みんなA判定に(笑)。夜はスパッと眠れるし、町が身近になるし。結局、クルマも手放しました。クルママニアだったんですけどね、本当は。
自転車という軸で広がる世界
――その効能を、『自転車通勤で行こう』(『自転車ツーキニスト』として文庫化)をはじめ、数多くの著書に記されることになりました。
疋田智氏: 実は私、28〜9歳の時にペルーにいたんです。そこで「黄金の都・シカン遺跡の発掘」というシリーズ特番を作っていました。現地ディレクターをしていたのですが、発掘物が出て、また次のブツが出るまでの間は時間ができるので、「シカン発掘日記」という感じでずっと記録をしていました。帰国後、その原稿をまとめ、小学館のノンフィクション大賞に応募したのですが、最終選考まで残ったものの、落選。しかし、手応えがありました。その時以来「こういうものが本になればなぁ」「一生に一度、自分が書いた本が出るなんてエキサイティングな体験をしたいものだなぁ」と思い始めたわけです。そんなある日、テレビの別の仕事で知り合った出版プロデューサーに「それだったら、何か別のネタで書いてみれば。君ならではの面白いネタがあるでしょう」と言われたんです。それで「自転車通勤をしています。駅まで自転車で行って、それから会社に通う人は多いですが、会社まで直接行っている人は少ないのではないでしょうか」と話したところ「それをテーマにして何か書いてみれば」と言われ、書くことになったのが『自転車通勤で行こう』(WAVE出版)だったのです。書き始めてから、1年後にようやく形になり、結局、書店に並ぶまでに2年ほどかかりました。
――反響はいかがでしたか。
疋田智氏: 最初はほとんど売れませんでした。版元であるWAVE出版の社長さんが「これは面白い」と言ってくれ、当時はあまり趣味にしている人もいない自転車についての本だったのに、8000部も刷ってくれました。ところが売れない。これは社長にも悪いなと思い、本の宣伝の一環にでもなればと「自転車通勤で行こう」というウェブサイトを立ち上げました。最初は自転車通勤のノウハウを書いたわずか4ページのサイトです。すると当時始まったばかりだったYahoo!が、トップページに1週間載せてくれ、おかげでたくさんのアクセスが集まり、そこでようやく本が売れ始めたんです。当時、自転車通勤をしている人というのは、周りには誰もいませんでした。ところが、ホームページで発信すると「実は僕もしています」という人がメールをくれるようになりました。「あなたは何人目の自転車ツーキニストです」とカウントをつけ、だんだんと「自転車ツーキニスト」という言葉も、マニアの中で浸透していきました。
――本職以外の専門知識は、テレビの仕事にも良い影響を与えているのではないでしょうか。
疋田智氏: テレビを作っている人、新聞記者たち、そして、数々のメディアに携わる取材者たちを集めると、膨大な数ですよね。それぞれにニッチマーケット(隙間市場)の専門分野を持っていると、ジャーナリズムは強くなるのかなという気がしています。ジェネラリストの記者も大切ですが、一つでも「これだけは絶対に負けない」という得意分野があるということは、大事なことだと思います。私の場合、それは自転車で、今では「自転車の諸問題についてなら、誰よりも語れるのでは」と自惚れています(笑)。専門分野の深い知識を持てば、その人ひとりひとりの資質も高めてくれるし、ひいては番組や新聞、雑誌自体のクオリティーも高めてくれるような気がするんですよ。テレビは記者の絶対数が少ないため、どうしてもそれぞれの記者の専門性は、高いとは言えないということになりがちです。ですが、一人でも一分野でもそういうことがあれば何かが違うのではないか、と、そういうことを後輩に伝えることができればと思います。
「2020東京」の手本になるロンドンの自転車政策
疋田智氏: 当初、「自転車通勤の楽しさを伝えよう」という気持ちで書き始めましたが、そのうちだんだんと日々の自転車通勤で見えてくる色々な地域の問題点が浮かび上がってきました。日本の自転車事情は、道路も法律もうまくできておらず、また人々が法律をそもそも知らないのです。三冊目の本を書いた時にオランダ、ドイツなどに行ったのですが、海外の自転車事情を見てみると、日本とは雲泥の差。自転車が交通の主役として扱われていて、誰もが自転車に乗っているのです。例えばデンマークでは、通勤の自転車率は52パーセントもあります。半分以上の人が車や電車ではなく、自転車で出勤しており、そういうお国柄もあって、自転車のための色々なインフラができているのです。しかし、自転車事故は日本の方が多く、デンマークの数倍。先進国の中で一番自転車事故死者数が多いのも日本、という事実も見えてきました。
――執筆のモチベーションがだんだんとシフトしてきているんですね。
疋田智氏: 途中からですが、そういう気持ちが私の本を書くモチベーションになっています。だから初期の私の本は楽しいことばかり書いていますが、最近は不愉快なものも多くなっています(笑)。これからは、新しいインフラ、教育、そういったものに働きかけていくことが大切だと考えています。そのヒントになるのはロンドンです。元々イギリス人というのは、あまり自転車に乗らなかったんです。ヨーロッパの中でも自転車分野では後進国中の後進国で……、おばちゃんの三割ぐらいは自転車に乗ることすらできなかったんですよ。
2012年のロンドンオリンピックでは、「エコ」をテーマに、キーワードは「自転車」だと、市長のボリス・ジョンソンが自転車政策を推し進めました。最初のうちは、でたらめな自転車レーンなどがあふれ、混乱していました。しかし、だんだんとデンマークなどを手本にして、インフラや教育の整備に着手しました。駐輪場を増やし、自転車レーンを縦横無尽に敷きました。自転車教室では規則から楽しみ方まで色々なものを学ばせるようになりました。またシェアバイクという誰でも乗れるレンタル自転車を、6000台も置きました。そうして2012年のオリンピックに間に合わせたのです。自転車人口はどんどん増え、シティに勤めている証券マンは、みんな自転車通勤に。自転車先進国とまでは言わないですが、ヨーロッパの標準程度にはなっているはずです。2020年に日本もオリンピックを控えていますが、ロンドンは大きな参考例になります。
――2020年の東京オリンピックにも「エコ」は大きなテーマとして掲げられています。
疋田智氏: 東京はまだまだ車が多すぎますし、渋滞も起きています。ただ、東京は世界に冠たる地下鉄網とそれに乗り入れる鉄道網が発達していて、ここはもうエコシティの資格、大アリです。この公共交通と、自転車こそが、エコシティの両輪なんですね。となると、自転車に力を入れさえすれば東京はすぐにでも最高レベルに追いつけるわけです。また「エコ」だけでなく、大きな課題でもある「医療費」の側面でも効果は大きいのです。ドイツには、「トラック一杯分の薬より一台の自転車」という有名な格言があります。自転車に乗っているだけで、ずっと健康になれると。以前、ドイツのミュンスターを訪れたとき「自転車を使うようになってから、町の医療費がどんどん減っていった」と聞きました。少子高齢化が進み、医療費がひっ迫している日本は、特に「医療費削減」が国家のテーゼです。そこに一番効くのが実は自転車。
日本の医療費というのは今、年間約40兆円程度かかっています。その中の大きなパーセンテージを占める部分、実は高齢者医療だけではなく、生活習慣病の予防と治療のために使われているんです。そういった中で、日本の国民病と言われる生活習慣病(糖尿病)に一番効くのが自転車なのです。ものすごく低く見積もっても、6000億円ほど浮くそうですよ。また、自転車に乗っているというのは常にバランス感覚を取るので、小脳と延髄が活性化します。心肺機能も強化されるので、循環器系の病気にかかりにくくなる、さらには血管が柔軟になることによって、脳梗塞、心筋梗塞などにも効果があるという説もあります。その他、健康に良いという自転車の話は別のテーマでインタビューができるほどいっぱいあります(笑)。ですから、もうそろそろそこに気付いて、踏み出した方がいいのではと思います。自転車に変えるだけで、健康に良いのはもちろん、エネルギーもずいぶん削減できると思います。
自転車エバンジェリストとして
――効能に気づき、踏み出すために疋田さんはどんなことを。
疋田智氏: 「医療費削減だ、健康だ、エコだ」と大上段に構えて言うだけでは、やはり伝わりません。やはり「自転車って気持ちいいよ、楽しいよ、便利だよ」というのを伝えることによって、「エコ」も「健康」もあとでついて来るということがあると思います。ですから、それを伝える自転車エバンジェリストとしてこれからも活動していきたいですね。ただ、自転車の数が増えるだけでは足りないんです。自転車ムーブメントが広がっていくためにはそのためのインフラ、法整備、ルール・マナーの周知徹底がますます重要になってきます。
そのはじめの一歩が「自転車は左側通行を」と、もうこの一点突破です(笑)。右側通行だと、正面衝突を起こすだけではなくて、出合い頭の事故の元になります。出合い頭事故は、全自転車死亡事故の半分以上を占めているんです。おおまかに言って年間に300人程度が右側通行が主因で死んでいると推測されます。自転車の右側通行はかくも怖いのです。自転車が左右デタラメに走って、逆走や歩道走行をしていたら、必ず事故が起きます。自転車が左右デタラメに走ってる国なんて、少なくとも先進国の中ではどこにもありません。楽しさの前提として、「事故のない、少ない社会」というのがありますが、そこを伝えていくことが、今からの私の役目の一つだなと思います。
――自転車を理解した町づくり、道路整備はまだまだ不十分ですね。
疋田智氏: 歩道の中に相互通行の自転車道が作られていたり、車道にあってもぶつ切りになってたり、自転車が右側通行になってしまう場所があります。いずれもよろしくない。そこで新たな試みを始めているのが、福岡県です。福岡は、それまで長い間、自転車で1番走りにくい町の一つだったんです。ところが最近、話が変わってきています。自転車専用レーンを、車道の左端に一方通行で作っているんです。それから、バス停をアイランド形式にして自転車が通れる道を作ったりしています。
すごいのはグレーチング=側溝の蓋です。通常の自治体は、ほとんどの場合、溝を縦にしていますが、それだとロードバイクのタイヤは落ちてハマってしまいます。福岡はきちんと考えられていて、横にしているんです。こういう例を見ていると、乗る側の私たちの啓蒙活動も大切ですが、そのインフラを整備する自治体に働きかけるということも同じく重要になっていますね。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 疋田智 』