再び自転車の世界に
――どうして乗らなくなったんでしょう、という質問は野暮でしょうか(笑)。
疋田智氏: やっぱり一番の理由は、助手席がなかったことでしょう(笑)。ま、それはさておき、当時はバブル手前で「軽く!」「明るく!」「浮ついていなければ!」と、常に強制されていたような時代だったんですよ。私は生きにくかったですね(笑)。世の中はカネがあまりはじめていたし、自転車なんて「ダサいもの」で「ビンボ臭いもの」になってしまった。自転車に興味を持つ人も少なかったんです。そんな中で、次第に私も自転車に乗らなくなり、幼い頃に抱いた自転車で日本一周する夢も失なっていました。
――それが、どうしてまた戻ってこれたのでしょう。
疋田智氏: 就職先が決まった大学最後の休み、夢だった自転車の旅ができる最後の機会だと思い、自転車を買い直しました。サイクル野郎スタイルで東京から宮崎日南までずっと走りました。ところがまた長い自転車休業期間に入ります。テレビ局に就職して、最初はADとして働いていました。とても忙しく、28歳ぐらいまでずっと乗らない日々が続き、学生時代に買った自転車は、駐輪場にほこりだらけサビまみれの状態になっていました。するとある日、マンションの住民総会で「誰も乗らないような汚い自転車は捨ててしまいましょう」となって。これはヤバいと(笑)、磨き直して格好良くなった自転車を見て、またヤル気が涌いてきました。
けれども相変わらず仕事は忙しいし、乗る時間がない。さてどうしたものかと考えたあげく行き着いたのが、通勤の時間でした。職場まで電車で50分ぐらいの場所でしたが、試しに自転車で走ってみると35分足らずでたどり着けました。「こりゃ速いや」と、自転車通勤生活がスタートしました。始めたら良いことばかりで、84キロあった体重は67キロまで減りましたし、コレステロール値や中性脂肪値など、みんなA判定に(笑)。夜はスパッと眠れるし、町が身近になるし。結局、クルマも手放しました。クルママニアだったんですけどね、本当は。
自転車という軸で広がる世界
――その効能を、『自転車通勤で行こう』(『自転車ツーキニスト』として文庫化)をはじめ、数多くの著書に記されることになりました。
疋田智氏: 実は私、28〜9歳の時にペルーにいたんです。そこで「黄金の都・シカン遺跡の発掘」というシリーズ特番を作っていました。現地ディレクターをしていたのですが、発掘物が出て、また次のブツが出るまでの間は時間ができるので、「シカン発掘日記」という感じでずっと記録をしていました。帰国後、その原稿をまとめ、小学館のノンフィクション大賞に応募したのですが、最終選考まで残ったものの、落選。しかし、手応えがありました。その時以来「こういうものが本になればなぁ」「一生に一度、自分が書いた本が出るなんてエキサイティングな体験をしたいものだなぁ」と思い始めたわけです。そんなある日、テレビの別の仕事で知り合った出版プロデューサーに「それだったら、何か別のネタで書いてみれば。君ならではの面白いネタがあるでしょう」と言われたんです。それで「自転車通勤をしています。駅まで自転車で行って、それから会社に通う人は多いですが、会社まで直接行っている人は少ないのではないでしょうか」と話したところ「それをテーマにして何か書いてみれば」と言われ、書くことになったのが『自転車通勤で行こう』(WAVE出版)だったのです。書き始めてから、1年後にようやく形になり、結局、書店に並ぶまでに2年ほどかかりました。
――反響はいかがでしたか。
疋田智氏: 最初はほとんど売れませんでした。版元であるWAVE出版の社長さんが「これは面白い」と言ってくれ、当時はあまり趣味にしている人もいない自転車についての本だったのに、8000部も刷ってくれました。ところが売れない。これは社長にも悪いなと思い、本の宣伝の一環にでもなればと「自転車通勤で行こう」というウェブサイトを立ち上げました。最初は自転車通勤のノウハウを書いたわずか4ページのサイトです。すると当時始まったばかりだったYahoo!が、トップページに1週間載せてくれ、おかげでたくさんのアクセスが集まり、そこでようやく本が売れ始めたんです。当時、自転車通勤をしている人というのは、周りには誰もいませんでした。ところが、ホームページで発信すると「実は僕もしています」という人がメールをくれるようになりました。「あなたは何人目の自転車ツーキニストです」とカウントをつけ、だんだんと「自転車ツーキニスト」という言葉も、マニアの中で浸透していきました。
――本職以外の専門知識は、テレビの仕事にも良い影響を与えているのではないでしょうか。
疋田智氏: テレビを作っている人、新聞記者たち、そして、数々のメディアに携わる取材者たちを集めると、膨大な数ですよね。それぞれにニッチマーケット(隙間市場)の専門分野を持っていると、ジャーナリズムは強くなるのかなという気がしています。ジェネラリストの記者も大切ですが、一つでも「これだけは絶対に負けない」という得意分野があるということは、大事なことだと思います。私の場合、それは自転車で、今では「自転車の諸問題についてなら、誰よりも語れるのでは」と自惚れています(笑)。専門分野の深い知識を持てば、その人ひとりひとりの資質も高めてくれるし、ひいては番組や新聞、雑誌自体のクオリティーも高めてくれるような気がするんですよ。テレビは記者の絶対数が少ないため、どうしてもそれぞれの記者の専門性は、高いとは言えないということになりがちです。ですが、一人でも一分野でもそういうことがあれば何かが違うのではないか、と、そういうことを後輩に伝えることができればと思います。
著書一覧『 疋田智 』