「面白さ」を追いかけて
――大学卒業後、就職は。
片山修氏: 大学卒業後は、かねてからの願いどおり、地方新聞社に勤めました。サツ回りからはじまって、基本的なことはすべて経験させてもらいました。サツ回りのあと、市役所や県庁などを回って、行政の仕組みや法律や条例など、社会がどのように成り立っているのかを勉強しました。体力的なキツさもさほど気にならず、そこでも「面白さ」を探し、日々楽しくやっていました。でも所詮、組織の枠内でしか仕事が出来ないなと感じ、思いきって会社を辞めました。
――片山さんの好奇心が、枠を破ったんですね。
片山修氏: それで、東京に再び出てきました。まあ、好奇心を持っていれば、何とかなるだろと思っていました。「なぜ」や、「どうして」という強い好奇心があれば、ジャーナリズムをいつまでも続けられるのではないか。人間に対する興味を持っていれば、大丈夫だろうと考えていました。
――そしてフリーのジャーナリストの道を歩むことに。最初のお仕事は。
片山修氏: 週刊誌の記者をやりました。それからまたフリーになり、本を書いたりしはじめたんです。
僕には明日は明日の風が吹くというか、なんとかなるだろうという気持ちがあるんです。深刻ぶらない。実際、なんとかならなかったことはありません。次から次へと書きたいテーマや場所を求めて、今風に言えばチャレンジだったのかもしれませんね。でも自分では、それほど大げさに考えたことはありません。開き直りのようなものもありました。人間、なんとかなるんだよな(笑)。
――苦もありゃ楽もある、と。
片山修氏: もともと書くのは好きですし、今でも原稿を書いている時ほど、楽しいことはありません。ただ、締め切りがきているのに書けないと、若い時は、それこそ脂汗タラタラになることはありましたよ(笑)。徹夜しても書けない、ということもありました。
また自分の書いた週刊誌の記事が原因で、東京地検に呼ばれたこともありますし、ある記事で某国の大使館から抗議がきて、連載が中止になったこともあります。あのときは、きつかったな。こんな商売を長くやっていれば色々ありますよ。
編集者は戦友である
――そうした片山さんの仕事が、本にまとめられ数多く世の中に出ています。
片山修氏: 週刊誌の記事は数多く書いてきましたが、単著で本を出したのは、遅い方でした。編集者から、「本にまとめよう」といわれたところから始まりました。
――きっかけは編集者の一言だったんですね。
片山修氏: 編集者は、みな戦友ですよね。週刊誌の記者をやっていた時は、一緒になって取材をしたりして、いろいろとアドバイスをくれたりね。1冊付き合うと、一緒に本を作るんだという連帯感が生まれます。そこから皆さんと長い付き合いをしています。
電子媒体の広がる可能性 再読でよみがえる古典
――電子媒体の可能性はどのように感じていますか。
片山修氏: 電子の世界は早さが勝負で書きっぱなしというのが多いような気がして、自分には合わないと思っていました。でも、最初に話したブログの「ずだぶくろ」を書き始めると、だんだん面白い世界になってきた。
ただ私は、ブログに書く時も、本や雑誌に書く時と同じようにきちんと解説して、自分の見方を伝えることを心がけています。
――電子書籍とは、どんなふうに関わっていますか。
片山修氏: 文字を拡大できるので、電子リーダーはいいですね。文字を1.5倍ほどの大きさにして読んでいます。それと、本に比べて軽いのもいいところですね。
例えば、夏目漱石の『こころ』を読みました。漱石の作品は3、4冊をリーダーの中に入れていて、今は『門』を途中まで読んでいます。漱石の作品を電子リーダーで読むのは、とても新鮮でした。古さを全く感じさせず、不思議な新しさを感じます。面白く読んでいます。
若い人は、電子リーダーでマンガや小説を読むのかもしれませんが、僕らの世代になると、読みやすいから、再読にいいのかなと思います。一気に読もうと思わなくてもいいと僕は考えています。10分でも15分でも読んで、「こんなだったのか」とか、「こんな風に書いていたのか」とか、そんな風な読み方もしています。今さら文庫を持って歩くというのもちょっと違うかなと思いますし、拾い読みなどもできるので、活用しています。再発見することが多いですよね。