好奇心があれば、常に新しく、日々面白い
経済ジャーナリストの片山修さん。常に「面白さ」を見つけながら雑誌、書籍、Webと幅広く発信されています。「ニュースの裏側に何があるのか。最先端で何が起きているのか」「さまざまな角度からニュースを読み解けば、物事の本質が見えてくる」とおっしゃる片山さんに、この世界に入ったきっかけ、楽しさ、ジャーナリズムに対する想いを伺いました。
毎日書けるのは常に挑戦しているから
――「片山修のずだぶくろ」は、5年間ほぼ毎日更新されているそうですね。
片山修氏: そう。若い編集者から「ブログを書いてみたらどうですか。でも書くなら、毎日、書かなきゃ駄目ですよ」と言われ、「じゃ、やってみるか」と好奇心から始めたんです。それまでは雑誌や本など、活字の世界で仕事をしてきたので、デジタルで発信することはあまり意識していませんでしたね。
最近は、電子書籍で云々という話をよく聞きますね。技術雑誌にクルマに関する論文を書いたところ、「雑誌だけだと関係者しか読まないから、電子書籍にして広めませんか」とか、「アメリカのジャーナリズムは、コラムを有料発信している」と編集者から言われ、それにもチャレンジしようかなと思っています。
「新聞の題字」集めからハマった活字の魅力
――ジャーナリストの世界へはどのようにして進まれたのですか。
片山修氏: 小学生のとき、新聞を読む習慣をつけたことから入りましたね。もう亡くなられたのですが、小学校の5~6年生時の担任の先生が、毎朝授業前に、その日の新聞に出ていた話題についてどう思うかなどを話してくれました。それで新聞に興味を持つようになり、新聞の切り抜きをはじめました。スクラップですよ。姉が言うには、親父が新聞を読む前に、切り抜きをするので怒っていたようですよ(笑)。
それから、新聞の題字にも興味を持つようになりました。近所にお米屋さんがあったのですが、そこには全国からお米が集まってきます。お米は新聞紙で包まれていたのかどうか、全国各地の新聞があったんです。お米屋さんと仲良くなって、「南日本新聞」や「秋田魁新報」など、地方新聞をもらっては題字を切って集めたりしていました。ご当地新聞の題字を眺めながら「どういうところなのか」と想いを馳せ、日本の地図を意識しはじめたのもその頃です。ぼんやりとしたものでしたが、「将来は新聞記者か雑誌記者になりたい」と思い始めたんです。
――身近な新聞から活字に慣れ親しんでいったのですね。
片山修氏: はい、そこから読書の習慣も始まります。マンガはあまり読みませんでしたが、山川惣治さんの『少年王者』や、坂井三郎さんの『零戦シリーズ』などは読んでいましたね。近くに古本屋さんが結構あって、そこに毎日のように通ううち、古本屋の親父さんと仲良くなりました。活字本を読みだしたのは、その頃です。パール・バックの『大地』とか、ドストエフスキーの『罪と罰』を、中学生の後半ぐらいに読んだ記憶があります。
――店主の親父さんと仲良くなるというパターンは多いですね(笑)。
片山修氏: そうそう、「現場のキーパーソンと仲良くなる」。聞き込みは、ジャーナリストの基本だからね(笑)。高校では、もっと今の仕事に近くなっていきます。当然ジャーナリズムに興味があったので、新聞部に入るのですが、取材に行って記事を書いたりと、新聞記者の真似事をしていました。
学校で文楽や狂言、浄瑠璃語りの人を招いていたりしていたのですが、後に人間国宝になったような人もいましたかな。そうした人たちの取材をするなかで、ジャーナリストになりたいなと、明確に考えるようになりました。とはいっても新聞部での活動以外は、遊んでばかりでした。こういうと、小さいときから進む道を決めていて、まじめに思われるかもしれませんが、違いますね。映画が好きだったので、学校の近くにあった映画喫茶に、悪い友達と授業をさぼり学校の塀を乗り越えて、映画を見に行ったりしていましたね。