田川一郎

Profile

1939年生まれ。山口県田布施町出身。広島大学卒業後、テレビ朝日へ入社。定年まで番組を作り続け、現在でも故郷でブルーベリー農場を経営しながら、フリープロデューサーとして1984年から始めたユニセフ親善大使・黒柳徹子の同行取材番組などの制作を続けている。 著書に『ビビ』(ポプラ社)、『愛しきテレビマンたち』(創樹社)、『シルクロード幻の王国 楼蘭からの手紙―楼蘭テレビ探検隊の記録』(全国朝日放送)など。

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面白さの匂いを嗅ぎ分ける


――田川さんのお話には「面白い」というキーワードが良く出てきますね。


田川一郎氏: 面白くなかったらストレスがたまるし、長生きできないと思います(笑)。人間、生きていくうえで、面白いということが一番だと思います。仕事でも、僕の趣味ではない、テリトリーに入ってこないものは断ります。

黒柳さんが、30歳くらいの時に、ものすごい芸能生活が忙しくて、過労で1ヶ月くらい入院したことがあると言っていました。その時は「1ヶ月も入院していると、名前も忘れられるのではないか」と思って不安だったそうです。

それで退院する時に、「私はもう死ぬまで病気したくありません、どうしたらいいですか?」と先生に聞いたら、「そんな面白いことを聞く人はいなかった。教えよう。嫌いなことはしないことだよ」と。それを黒柳さんは守っていると言っていました。でも、人に頼まれて無理やりどうしてもとか、嫌なこともありますが、楽しいと自分で思い直すようにしていますと言っていました。



――面白さを自分で感じて、見つけていくんですね。


田川一郎氏: どの仕事も一生懸命やってきましたが、面白さの嗅覚を頼りにしてきたようにも思います。あと、僕は組織にいる時から、「これ、やるぞ」と言うと、いつも周りには、優秀な人間ばかりが集まってきてくれました。今でもそう。色々なことをやりますが、「田川さん面白そうなことをやっているけど、いつも面白い人が周りに集まっているよね」と言われます。これは幸せですね。

黒柳さんの番組でも、同じカメラマンと長い間一緒にやりました。彼は優秀なカメラマンでした。行く時に、現地の状況とか、番組の構成など大まかな話はして行きますが、現地ではカメラマンとの会話は一切ありません。自分の頭の中で構成が決まっているから、「田川さん、だいたいできたよ。もう明日休もう」などと言うのです(笑)。「ここを、こういうサイズで撮ってください」などということは、彼は優秀だったから、全くありませんでしたね。あと、長いことやっていると、編集室で見ていても、カメラマンの気分が、分かるようになりました。

――映像に、そういったものも表れるのでしょうか。


田川一郎氏: ええ。「こいつ、家に帰りたいと思って撮っているな」とか「あと何メートル右に寄るといいアングルになるのに、手を抜いているな」というのが分かります(大笑)。カメラマンの気分が乗っている絵には力があるので、映像を見ているだけで、力が入っているなということが分かります。それは視聴者を引き付ける力になります。手を抜くと、しっぺ返しを食らいますよ。

写真家協会会長の田沼武能という人は、今、85歳ですが、初回からずっと黒柳さんの親善訪問に一緒に行っています。僕が今75歳で、黒柳さんが80歳で、田沼さんが85歳、みんな5歳違いです。僕は田沼さんに触発されて、田沼さんが使っているキャノンの同じ機材をそろえて行きました(笑)。僕が先にシャッターをきると、子どもの表情が動いて撮れなくなったり、子どもが逃げたりすることがあるのです。同じアングル、同じ構図で撮ったのに、どうしてこんなに写真が違うのだろうと思うくらい、雲泥の差があります。田沼さんの気持ちというか、情熱が違うのでしょうね。

「風景資本主義」で豊かな地域へ


――田川さんの情熱的の源、使命は何でしょう。


田川一郎氏: 人間で一番必要なことは、ものごとを知ることだと思います。知ることによって刺激を受けたり、自分の生き方が変わってきたりするのだと思います。だから途上国に行って、みんなが知らないことを知ってくださいという風に、届けることが僕の仕事だと思っています。飢餓の子どもたちが自分の100m以内にいたら、日本人は誰でも、絶対食べなさいと手を出すと思います。でも何千㎞も離れているアフリカだから、私ごとではないと思って、手を出さないのではないでしょうか。「あなたの近所にいる」と、テレビを見て感じてください、100m以内にいる子どもたちと同じですよ、ということを知ってほしいと思います。

――これからも、途上国を訪れる活動は続けられますか。


田川一郎氏: 黒柳さんが主役で、僕はついていって取材して放送しているので、これからについては黒柳さん次第ということになると思います。黒柳さんが辞めたら、世界の子どもたちの話は、僕自身ではできないと思っています。僕たちが身の回りでできる事は、田舎で自然環境を大切にして、きれいな故郷にして、日本人も外国人も呼び寄せられるような素敵な町にすること。田布施町のみんなのためにやろうということが、今の自分の8割方を占めています。

――みんなの風景を作り守っていく。大切な資産ですね。


田川一郎氏: それを僕は「風景資本主義」と言っています。風景という、抽象的な概念が資本になりうるということを、今、田舎で言い続けています。みんなで、きれいな風景を作ろう。それが資本になってどんどん人が来る。そうしたらレストランや宿泊所、それからお土産屋も必要になる。どんどん町の人の様子が違ってくるし、豊かになるよと。資本は風景だよと言っているのです。藻谷浩介さんとNHK広島取材班が書いた『里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く』でも、「田舎の里山が資本になる」と言っています。僕はそれに賛成していて、風景が資本になると考えています。お金ではないものが、結果的に資本になって、町が豊かになるということ。このプロジェクトは最高に「面白い」ですよ(笑)。

(聞き手:沖中幸太郎)

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