就職は二の次。気が済むまで研究をしたい
――大学院では、どのような研究をされていたのでしょうか?
渡辺隆裕氏: 数学を使って社会や組織を考える研究をしたいと思い、ゲーム理論に近い研究をしました。そのきっかけになった本が、大学3年の終わりに出会った『きめ方の論理』という本です。著者の佐伯胖先生は、認知科学会の会長などをされた方で、大変著名な方です。数学の世界と哲学や社会科学の世界が一体になった彼の本の面白さに、とりこになりました。
――東工大工学部の助手になるきっかけはなんだったのでしょうか?
渡辺隆裕氏: 研究室の指導教員から、「別の学科の宮嶋教授が助手を探している。助手になれるチャンスは少ないよ。君のやりたいゲーム理論や社会選択論に関しては私の専門ではないから、博士号を3年で取らせられないかもしれないし、君が博士号をとっても職にありつけるかどうか分からない。助手の職を得て少し長く大学にいながら、論文博士という形で博士号をとって、いずれ大学の研究者になるのもいいんじゃないか」と言われました。そういった先生からのアドバイスも含めてよく考えた結果、助手になることにしました。宮嶋先生は、「学生を見てもらう時間以外は、君の好きな研究をしてもいい」と言ってくださったので、助手をしながらゲーム理論の勉強をすることになりました。
――将来については、どのように考えていましたか?
渡辺隆裕氏: 「大学にずっといられるんだな」という気持ちでいました(笑)。自分が満足するまで研究をしたい。でも10年ぐらいしたら普通の企業に入って働いてもいいなと思っていました。世の中はまだバブルでしたので、10年後になっても就職はなんとかなりそうだなと思っていたのです。でも、実際にこの道に入って10年も経つと、他のところに就職するよりも、大学が合っているんじゃないかなと思うようになりましたし、大学の中でやりたいこともたくさん出てきたので、このまま大学にいようと考えました。
習得に重要なのは、図の使用と「渡辺流」講義ノート
――ゲーム理論を生徒に教えるようになったのは、いつ頃だったのでしょうか?
渡辺隆裕氏: 岩手県立大学に進んでからです。従来のゲーム理論は、淡々と数式で定理を説明し証明をするというスタイルのテキストしかなかったんですが、みんなとても理解しにくそうでした。それを見て「ゲーム理論の本質は、もっと簡単なんだ」ということを伝えたいという思いが募っていきました。当時はアメリカから、読み物としてのゲーム理論の本が、少し出始めた頃で、アメリカのビジネススクールの本で『戦略的思考とは何か』という、アビナッシュ・ディキシットという経済学者が書いた本がありました。「ゲーム理論をビジネススクールで教えるには、アメリカでも数式を使ってはできないんだ」という気持ちがあったのか、色んな事例を用いてお話として書いてあるものでした。でも私の理系魂にとっては、それが大きな問題でした。
――大きな問題とは?
渡辺隆裕氏: 理解するということとはどういうことなのか、という問題です。実際に何回かゼミでその本を読ませると、学生は「分かった!」と言うのですが、そのわりには、非常に簡単なゲーム理論の問題を出しても解けないんです。何と喩えたら良いのでしょうか...例えば「わかりやすい物理学」のような本で「引力」について、わかりやすい説明を受けて、それが理解できたような気がしていたとしても、それを実際に計算できるかというのは全く別ですよね。万有引力やニュートンの法則などを完全に理解するというのは、概念を理解するだけではなく、「計算して答えを出すことができる」というところまで含められるのだと私は思っています。ゲーム理論が今までの社会科学の理論と違って重宝されているありがたさは、まさにそこにあるはずです。
――概念を理解すること、実際に計算をして答えを出すこと、その2つを習得させるためには、どういった方法が必要になるのでしょうか?
渡辺隆裕氏: アイディアとしてあったのは、図を上手く使うということです。大学院の私が所属したオペレーションズリサーチの研究室で、先輩方は様々な研究をしており、いろいろな数学のモデルを扱っていました。その時、先輩方や指導教員の先生からは「分かりやすい図を描け」と言われて、いろいろな図を描かされていました。今で言うと「図解化せよ」「可視化せよ」に通ずるものでしょうか。30年前から今と同じようなことを言っていて、論理的、整合的な数学の概念を表現するための図を描いていました。それで私は、ゲーム理論もうまい図で描けば習得できるはずだし、それを利用して概念を教えれば問題も解けるはずだと思ったんです。
――その他にも、習得させるために工夫されていたことはありますか?
渡辺隆裕氏: もう1つは、講義の準備です。多くの大学の先生にとって講義というのは、実は負担で、情熱も持ちにくいものなのです。研究時間が欲しいので、講義の手間を減らすために、私も最初はでき合いのテキストを使っていました。しかし、それでは思ったような授業はできませんでした。毎年、不満がありながらも、何とか1年の授業をこなし、それが終わるとまたその次の年の準備をするということの繰り返しならば、永遠に満足できないだろうと考えました。そこで「最初は時間がかかっても、自分がテキストを書き、それを毎年改善して付け加えていけば、それが資産となり、最後はおそらく自分の満足する新しいテキストができるのではないか。そうすれば、授業の準備も情熱を持ってできるだろう」という考えに至りました。そうやって作ったテキストは学生から非常に好評で、「従来のテキストでは分からないけど、渡辺先生のレクチャーの講義ノートでよく分かりました」とまで言ってもらえたんです。それでテキスト作りも面白いなと思うようになり、自分でも自信を深めていきました。チャンスがあれば出版できないかなと思って、いろいろな出版社に掛け合ってみたりもしました。しかし何度か出版社の方にも話したのですが、取り合ってもらえませんでした。今のように簡単に出版ができる時代ではなかったです。
著書一覧『 渡辺隆裕 』