米倉誠一郎

Profile

1953年、東京生まれ。 一橋大学社会学部、経済学部卒業。同大学大学院社会学研究科修士課程修了、ハーバード大学歴史学博士号取得(Ph.D.)。 1995年、一橋大学商学部産業経営研究所教授、97年より同大学イノベーション研究センター教授。現在プレトリア大学GIBS日本研究センター所長、『一橋ビジネスレビュー』編集委員長、アカデミーヒルズ「日本元気塾」塾長も務める。 著書は、『創造的破壊 未来をつくるイノベーション』『脱カリスマ時代のリーダー論』『経営革命の構造』など多数。専門は、イノベーションを核とした企業の経営戦略と発展とプロセス、組織の史的研究。

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精神の自由こそが、全ての源



経営学者の米倉誠一郎さんは、歴史学博士としての深い見識から、経営史を分析し、日本の企業社会へ向け数々の提言をしながら、一貫して企業者の自由な発想で生み出すイノベーションの必要性を訴えています。米倉さんに、自身に影響を与えた魅力的な人との出会い、ハーバード留学のエピソード、執筆や読書への想い、また電子書籍と出版の関係などについてお聞きしました。

本はあまり好きではない


――本日は、米倉さんの本との関わりを中心にお話を伺いたいと思います。


米倉誠一郎氏: 小説は好きですが、学術書は面白くないから嫌いです(笑)。そもそも面白い本にはなかなか出会えませんので、たくさんは読んでいません。僕の同僚の楠木(建)君が、「戦略的読書」ということを言っていますが、彼はいつも「本が好きだ」と言いますし、金井(壽宏)君も本が好きだろうなと思いますが、僕はあまり本は好きではないのです。書評を引き受けたり、審査員をやったりしているのは、そうでもしないと本を読まないからかもしれません(笑)。でも研究室には、足の踏み場がないほど本があります。研究室の両側が全部本棚なのですが、助手として仕事を得た時に、当時僕が持っていた本を全部入れてもスカスカでした。これは大変だと思い、神田の古本屋で日本歴史全集などを買って、まず箱の中身を並べて、その次に本が入っていた箱を並べてすき間を埋めるなどして、これで少しは研究室らしくなるかなと思いました。でも仕事を始めるとあっという間に本が増え、今はありがたいことに本を贈って下さる方もたくさんいて、本があふれている状態です。

―― 一橋大学の助手になられたのはおいくつの時ですか?


米倉誠一郎氏: 28歳の頃です。僕が新任の頃、野中郁次郎先生が教授としてこられましたが、野中先生は、僕と大体18才違うので、当時先生は45歳。野中先生は本が好きで、一緒に調査に行くことになった時に「丸善で会おう」と言うのですが、僕は丸善の場所も知りませんでしたし、僕は親父が丸善のレインコートを持っていたから洋服屋だと思っていたので、「なぜ洋服屋なのですか?」と質問をしたら「お前、丸善も知らんのか。お前は本当のアホだ」と言われました(笑)。これは後から聞いたのですが、野中先生は防衛大学校にいましたので、採用する時に社会学部から反対意見が出たようです。あまり批判が出ないようにするために、僕が佐々木潤之助先生のマル経ゼミだったので、僕が足を引っ張って中和するだろうと予測して、僕と野中先生を一緒にしたそうです。でもその予想に反して、先生と意気投合してしまいました(笑)。



ハーバード留学に語学の壁


――その出会いが、ハーバードの歴史学部に留学されたきっかけとなったのですか?


米倉誠一郎氏: 野中先生は富士電機に10年間勤めて、上司に50万借金をしてカリフォルニア大学バークレー校に行った経験があったため、僕の無知に呆れて、「お前は物事を知らないから、アメリカへ留学に行け」と言ったのです。われわれが4月に一橋に入ってきて、自分と同じようにアメリカに行くことを勧められたのが6、7月。それはグッドアイデアだと思って、当時の研究所長今井賢一さんに、「アメリカに行きたい」と言いにいったら、「良いな」と反対もされず、アメリカで知っている大学といえばハーバードしかなくて、「どこに行くんだ」と聞かれて「ハーバードでしょう」と言ったら、「良いな」と、その一言で決まりました。それで就職2年目からハーバードに留学して、5年位いました。今なら世知辛いことを言われるのかもしれませんが、当時はすごく良い時代で、今思うと本当にやりたい放題でした。

――アメリカ留学は今よりも大変だったのではないですか?


米倉誠一郎氏: 第一の障害は、学費が年間4万ドルということでした。僕の初任給が13万3000円でしたが、当時は1ドルが250円でしたから学費だけで1000万円。金額的に絶対に行けるわけがなかったので、奨学金をもらうしかなかった。イェンチン・インスティテュート(現ライシャワー・インスティテュート)の所長アルバート・クレイグ先生が来日していて、奨学生を募集しているという噂を聞きつけ、早速面会を申し込みました。ライシャワー博士の有名な弟子なので、日本語がすごく上手いんですが、6時に会うという話になって、それが夕方の6時ではなく朝の6時だったのが驚きでした。30年前は、ブレックファストミーティングなんて考えは日本にありませんでしたから。僕は日本語で面接の準備をしていったのですが、実際の面接は英語で、僕は言いたいことも言えず「You will be a pain in the neck.」(お荷物になるだけだ)と言われても、その言葉の意味すら分からずに「Thank you very much.」などと答えてしまい、全く会話になりませんでした(笑)。クレイグ先生から、「他に外国語はやらなかったのか」と聞かれて、僕は第二外国語が中国語で、ほとんど覚えていませんでしたが、「I have studied Chinese two years.」と答えたら、クレイグ先生が中国語で面接を始めたので、本当に焦りました。歴史学部は博士論文を書くまでに4ヶ国語マスターしなくてはならず、僕の場合は、その後日本語、中国語、英語、フランス語の試験に通らないといけませんでした。そういうことすら知らなかったのですが、それから頑張って、3ヶ月でTOEFLのスコアを100点アップして奨学金をもらうことができました。

――ハーバードでの勉強はどのようなものでしたか?


米倉誠一郎氏: アルフレッド・チャンドラー先生のゼミに出ると、本を大量に持ってこられるわけです。その本を1学期かけて読むんだろうなと思っていたら、来週までと言われまして、それ以来、僕は序章と結論を読んで論文、レポートを書くという素晴らしい特技を身につけました(笑)。アメリカ留学に関しては、色々なことを思い出すと楽しいけれど、もう1回やるかと言われると勘弁してほしいです。

やりたいことしかやってこなかった


――幼少期はどのようなお子さんでしたか?


米倉誠一郎氏: 自分ではよく覚えてないのですが、家にお客さんが来て、うれしくなってホースで家中に水をまいたり、前の家に住んでいるおじさんが育てていたバラを、全部切り落としたり、という悪がきだったそうです。小学校6年生の時に少年少女世界文学全集を読んで「本って面白い」と思ったのですが、中学でビートルズに出会って「世の中にはもっと大事なものがある、それは愛と平和だ」と思い、本どころではなくなりました。中学校1、2年の時に彼らに出会って「男でも髪伸ばして良いんだ、世界は自由なんだ」と感じました。僕にとっては、その「自由」との出会いはすごく大きかったです。

――教育には熱心なご家庭でしたか?


米倉誠一郎氏: 全然違ったと思いますが、成績表の時だけ怖かった記憶があります。小学校の時は、体育の5以外は全部3。中学に入ってからは成績が良くなって、大体クラスで1、2番。どちらかというと文系で、数学は嫌いでした。でも、僕は芥川龍之介が好きで、彼が東大の数学科に入れるくらい数学が得意だったので、「数学ができない人は小説は書けない」と思って、見栄を張って数学は隠れて一生懸命やりました。

――都立戸山高校に進まれましたが、高校ではどのようなことが印象に残っていますか?


米倉誠一郎氏: 戸山高校で出会った担任は、私小説で有名な中石孝先生で、当時小説を3冊くらい出していました。中石先生も本当に自由で、生徒を大人として扱ってくれました。ホームルームをやっていると、僕の席に来て小さな声で、「米倉、お前ジタンって知ってるか?やっぱりフランスものは良いな」などという話をしてくれたりする。僕も小説家になろうと思っていたので、当時は手当たり次第に本を読んでいて、その先生に、「僕も小説家になりたい」といって書いたものを持っていったら、その場でびりびりと破られました。戸山高校では、つまらない校則や制服もなく自由でした。自分にとって一番大事なのは「精神の自由」で、それが全ての源と僕は思っています。いまも、その精神の自由を共有してくれる一橋大学イノベーション研究センターで職を得ましたので、ラッキーでした。考えてみると、今まで本当にやりたいことしかやってないんです。

同級生、恩師との刺激的な出会い



米倉誠一郎氏: 文藝春秋で「同級生交歓」という企画があって、戸山高校の同級生の大学教授や判事、にっかつロマンポルノの風祭ゆきなどが集まったことがありました。戸山高校には「検定教科書なんか使えるか」と自分で作ったガリ切りの教科書を使っていた、数学の武藤徹先生がいました。その同級生や先生のことについて文章を寄せましたところ、つい先週のことですが、武藤先生から突然手紙をもらったんです。先生はお元気で、89歳になって「今度本を出すんだ」とその手紙に書かれていました。先生は小柄で本当に穏やかな人なのですが、ガリ切りの教科書を使っていたような人だから、生徒が校則にしばられたりしている今の状況を、非常に憂えておられます。以前、戸山高校が進学校のようなものに指定されたことに対して、「高校は進学するためにあるんじゃない」という怒りの本を書かれました。その時、僕が文藝春秋に書いた文章を友人が送ってくれたようで、その中で僕が使った「きらめく知性、精神の自由」という言葉を自分の本のタイトルにつけてくれたことが、すごくうれしかったです。

――一橋大学に進学されたきっかけはどういったことでしたか?


米倉誠一郎氏: 僕は高校ではアメリカンフットボール部でクオーターバックをやったり、音楽にのめり込んだりで、勉強をしなかった。それで、高校3年の模擬テストで男子は150人位いて、149番で、びりから2番目と思いきや、150番は病欠ということがありました。それで浪人したわけなのですが、僕は芥川龍之介が好きだったので東大志望でしたが、夏に、会計士志望の友達が一橋大学のことを教えてくれました。聞くと、一橋は午前中が試験で、東大の文1は午後が試験だから両方受けられるということで一橋を受けることにしました。

――大学時代はどのような学生でしたか?


米倉誠一郎氏: イカのような長髪をしてバンドとバックパッカーをやって、遊んで暮らすといった感じで、いわゆるヒッピーでした。4年の夏にバックパックの旅から帰ってきたら、同級生たちは就職活動に走り回っている。ちょっと見てみるかと思って、イカ頭のまま試験を受けました。どの企業を受けたのかは忘れましたが、採ってもらいたいとも思っていないから、僕は言いたいことだけを言って帰りました。すると、いきなり重役面接ということになって、はじめて「自分は本当に何がしたいんだろう」と考えました。やはり教職だという結論に至って、大学に残ることを決心しました。

本の知識は、かめの中の石ころ


――米倉さんが本を執筆される際に心がけていることはありますか?


米倉誠一郎氏: 難しいことを易しく書きたいという理想はあります。僕自身、本が嫌いだからこそ、難しいことをいかに易しく書くかということが、すごく大事だと思っています。僕が読みたい、読める本を書きたいという思いは一貫しています。僕がつまらないと感じるのは、易しいことをわけが分からないように書いている本と、ノウハウ本です。例えばこうやったらMBAになれる、こういう風にやると少ない労力でお金になる、マーケティングはこうじゃなきゃいかん、などといった本には魅力を感じません。

――最近読まれた本で、面白かったものはありますか?


米倉誠一郎氏: 最近読んだ本の中では、入山章栄さんの『世界の経営学者はいま何を考えているのか』はすごく良い本だと思いました。あとは、ビバリー・シュワルツの『静かなるイノベーション』や、百田尚樹さんの『海賊とよばれた男』も良かったです。

――米倉さんにとっての良い本の基準はなんでしょうか?


米倉誠一郎氏: 読んだ時に、頭の中に入っている知識が跳ね返ってくるのが僕にとっての良い本です。でもそれに関しては法則性がないから、どういう本が僕にとっての良い本になるのかは分からない。それは自分のコンプレックスでもあるんです。

――コンプレックスとはどういうことでしょうか?


米倉誠一郎氏: 僕は、映画がすごく好きなのですが、「それは1968年の○○監督の○○という映画だよね」などと言える人がいますが、僕はまったくダメ。同じように、本のタイトルなどに関してもそういう人は沢山いる。自分もそういう風になりたいと思いましたがやはりダメでした。結構コンプレックスだったんですよ。しかし、そのうちに本の内容をただ頭に入れているといった状態でいいと思いました。覚えて積み上げるのは疲れてしまうし、カテゴライズするとあまり良いものにならない。自分なりに自由な探求をして、本でも映画でも数を見てなんでも頭に入れておけば、いつかは出てくる。それは、かめの中の石ころのようなもので、たくさんたまった石ころの上に水を注ぐと、すぐにアイディアがあふれてくる。だから若い時に色々詰め込んでおくだけでいいのだと、よく学生にも言っています。人生において無駄なものはないのだと僕は思っています。

電子書籍にこそ問われる、出版社の主張


――米倉さんは、電子書籍を利用されていますか?


米倉誠一郎氏: 電子書籍を利用していますが、電子で読むよりも紙で読む方が僕は好きです。でも、電子版はiPadが1個あればいいので、重くないといった良い点もあります。

――電子書籍の可能性は、ほかにどのようなことがあるでしょうか?


米倉誠一郎氏: 電子書籍になれば、在庫が無限になります。本屋でスペースを取れるのは限られています。ロングテールの法則で置いてある本は、上位何冊かだけになっています。それが電子書籍であれば、全て置けるわけですし、ロングテールの先の方でもたくさんの良い本があって、その中から価値のあるものを探すことができます。本屋という限られたスペースに置ける、いわゆる「売れそうな本」しか作らないのではなくて、電子書籍の時代には本当にいい本を書こう、創ろうということになる。そうなると、書き手はもちろん、出版社、編集者の役割は重要になってくるはずです。

――書き手として、出版社には何を期待されますか?


米倉誠一郎氏: 主張する出版社が良いのではないかと思っています。僕の『創発的破壊』を出したミシマ社には主張がある。三島(邦弘)君は「出版不況の時でも、良い本を丁寧に作ればベンチャーでも回る」という考えで独立したので、「ベンチャーは大事だ」と言っている僕が応援しないわけにはいきません。彼らにとっては、僕はたくさんいる著者の中の1人ですし、ほかの出版社と比べて、本屋にたくさん置いてくれるかどうかといった点で考えれば、ミシマ社にこだわる必要はないのかもしれません。でもやっぱり、僕は三島君の考えていることが好きだから、ミシマ社で出すということが、僕の主張でもあるのです。

――『創発的破壊』はタイトルにインパクトがありますが、タイトルはどのように決められるのでしょうか?


米倉誠一郎氏: 2011年の6月に本が出ましたが、タイトルはなかなか決まらなくて、4月の初めになっても決まっていませんでした。僕の先生でもある、アルフレッド・チャンドラー先生の本は、タイトルが素晴らしい。いまや経営史の古典となった『Strategy and Structure』も内容がストレートに伝わる素晴らしいタイトルで、しかも韻を踏んでいてクールです。彼は次作の『ザ・ビジブルハンド』でピューリッツァー賞をもらいました。残念ながら、日本語訳では『経営者の時代』となってしまいました。確かに本の内容は「これからは市場じゃなくて、経営者の時代なんだ」という主張なので、日本語訳も中身としては正しいんですが、「ビジブルハンド」のインパクトが消えてしまった。このタイトルはアダム・スミスの「インビジブルハンド」に対抗する言葉であって、実はすごいタイトルなんです。そのチャンドラー先生にタイトルの付け方を尋ねた時に、先生は「Title comes last.」(タイトルは最後に来るんだ)と言っていました。今回はそういったパターンで、書いた後に、ああでもない、こうでもないと、色々なタイトルをつけて、最後に『創発的破壊』という言葉が出てきたのです。

古くならない本を書きたい


――理想の編集者はどういった方でしょうか?


米倉誠一郎氏: 最初に出した『戦略的国家・企業・個人を求めて』を担当した創元社の女性編集者山田祐子さんはすごく優秀でした。僕が書き散らしたものを見て、その中から良いところを引き出してくれる。悪いところを指摘されるのも重要ですが、やっぱり良いところを引き出してくれる方が理想です。
それと矛盾するようですが、原稿を切ることによって良くしてくれることも重要だと思っています。岩波新書の『経営革命の構造』は、13、14刷、10万部以上出ていますが、一橋の同級生が編集を担当してくれたんです。僕には「古くならない本を書きたい」という気持ちがあって、すごく気合いを入れて「上下巻で行くぞ」と言ったのですが、その同級生の編集者は「上下なんか売れるか」と、3倍位のボリュームがあったのを、ばっさり切りました。書いた人は、調べたものを全部出したいと思うのですが、そうすると、筋もつまらなくなってボリュームが増えるだけ、といったことになりがちなので、彼が軌道修正してくれたのはありがたかったです。



――最後に、今後のご著書についての展望をお聞かせ下さい。


米倉誠一郎氏: 先ほども言いましたが、古くならない本を書き続けたいと思っています。講談社から本を出す話がありますし、ミネルヴァ書房で松下幸之助の伝記を書くことも約束してます。新しい本では、グラミン銀行のユヌス博士のことや、ソーシャルイノベーションの話を、しっかりと書かなければいけないと思っています。松下幸之助さんに関しては自分自身があまり魅力を感じていないので、なぜ松下幸之助が「経営の神様」になったのか、懐疑的に書いてみたい。逆を言えば、好きではないからこそ書こうという気持ちになるわけです。
僕は小説が好きで、ミステリー小説、冒険小説を書きためているので、書き終えたら原稿を早川書房へもっていくという競争を教え子の一人としています(笑)。7、8年前まで、ある程度は書いていたのですが、今は忙しくて、時間が空く時にしか書けなくて、今年の1月にアフリカに行った時に、5日間くらい時間がとれたので、ずいぶん書くことができました。とにかく今は、このミステリー小説を書き終える時間が欲しいです。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 米倉誠一郎

この著者のタグ: 『経済』 『アドバイス』 『コンプレックス』 『歴史』 『留学』

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