真の姿を伝えたい
――現在の「伝える」活動の根の部分は、そこから今に繋がっているのですね。
金谷俊一郎氏: 歌舞伎の脚本を書きたいという想いも、ポプラ社で伝記を編纂したいという願いも、予備校で日本の歴史を教えていたことも、根底に「日本人の美徳や精神を伝えたい」という想いが流れていて、その伝える場所を求めてその時々で出来ることをやってきました。
――講演会もとても反響が大きいと聞きます。
金谷俊一郎氏: 子どもたちには、講演会で日本人の偉人の話をしています。世界的な大慈善家のヘレン・ケラーが人生の目標にしたのは、江戸時代のとある日本人のおじさんなのです。そういう話をしていくと、子どもたちはキラキラした目をして話を聞いてくれます。しかも、彼らの中に、その人の名前はずっと残っていくのです。
また伊能忠敬の話もします。伊能忠敬は西洋並みの地図を作ったと皆さん思っているかもしれませんが、実は違います。シーボルトもそれを持ち帰ったほど、西洋よりも正確な地図なのです。
伊能忠敬の目的は、地球の大きさを知ることで、地図を作ることはそのための手段だったのです。ですから外国の人が誤差範囲と判断するところも、伊能忠敬は妥協しなかったのです。
――今までの視点とは違う形で人物像や逸話を伝える事によって、真の姿が見えてくるように思います。
金谷俊一郎氏: 東郷平八郎のイメージも今までだと「軍人」だとか「戦争」だとかいったキーワードが出てきます。しかし彼は「相手を殺すと、必ず遺恨が残り、それは次の戦いの火種となって、いつまでも戦いは終わらない。」と言っています。原爆を使って相手にダメージを与えるのではなく、スマートに戦いに勝って戦いを終わらせなければいけないということです。「バルチック艦隊を破って危地を救ったから」というだけでなく、東郷平八郎の理念に共感したからこそ戦前の人たちは神様のように崇め奉ったのです。その辺りが、勘違いされているように感じています。
また戦後の歴史教育にておいては、科学技術や、自然科学など、様々な分野において頑張った人たちに焦点を当てなさすぎると私は思うのです。ヨーロッパやアメリカの大学生は、理系であっても自国の歴史、文化、芸術についての基本的な知識は全部持っている。でも日本人の場合は文系、時には文学部の学生でもそういうことについて知らない。そういうことを知らないのはあまりにも悲しいことです。
――教科書にも問題がありそうですね。
金谷俊一郎氏: 私が読んだ、中国の中学校で使われている歴史教科書は1200ページあります。情報量はほぼ日本の教科書と同じくらいで、細かく書いてあるわけではありません。ではなにが違うのか。例えば「日清戦争」の場合、見開き2ページの最初の5行くらいは、どちらも同じようなことが書かれています。しかし中国の場合は、中国のために日本と敢然と戦って命を落とした武将の話が載っていたりします。それは、日本人が読んでも中国のことが好きになるような内容のものでした。それを手放しに良いとは言いませんが、中国というのはアジアの中心で素晴らしい国なのだという気持ちが、子どもたちに組み込まれます。そういう人たちと対峙して話をしていることを分かっていないといけません。
――日中間だけでなく、国際社会で自国の歴史を知らずに渡り合うことは出来ませんね。
金谷俊一郎氏: 隣人なので、近さが故のトラブルもたくさん抱えていますが、それはしょうがないことで、諸外国の例を見ても隣国同士、仲が良いのは稀だと思います。これは、隣人トラブルと同じことで、4キロ離れた人とトラブルになりませんし、隣の家に住んでいるからこそ色々あるのです。ただ、その中で対話をしようにも「何も知らない」では済まされないのです。予備校の講師としてテレビに出演して、講演をして、財団も作っていますが、私の根底にあるのは、「日本のことを知るべきである」という想いなのです。
本は書き手の魂 伝承者として想いを込める
――その想いが、本にもなっています。
金谷俊一郎氏: 私の場合は自分で一からというより、日本にある素晴らしいものを現代の人に分かるように伝える、思想を現代に伝える、『修身』の考えを伝える、『古事記』を子どもたちに伝える。その想いを伝える大切な媒体「本」は書き手の魂だと思います。自分の人生の中で命をかけて伝えたいものを届けるのです。例えば職人が自分の持っている技術を、一子相伝というか、弟子や息子に伝えるというのがありますが、書籍もそれに値するものです。その人が人生をかけて、考えたことや思いを受け継ぐ。そのお手伝い、仲介役と考えて書いています。
私はもともと紙の「本」がいいなと思っていた人間ですが、最近「電子書籍も、いいじゃない」と思うことがありました。電子書籍の特性は、「いつでも、どこでも」。自分の人生の中で転機になったとか、希望の光が灯ったとか、そういう本や詩集、または画集などは一冊ではないと思います。そういうもの何十冊という本を自分の手元に置いておく時にとても重宝します。フォルダに入れておいて、何かあった時にパッと取り出せる。本自体は家にもある。両方あってよいと思うのです。
紙の本の文化もグーテンベルクの頃から数えても、600年近く続いているので、10年20年で覆して、「すべて、電子書籍に」とするのはなかなか難しいと思います。座右の書とそうでないものの棲み分けという感じでしょうか。
――金谷さんの座右の書とは。
金谷俊一郎氏: 『西国立志編』です。これは、スマイルズの『自助論』を中村正直が翻訳したものです。中村正直は明治時代初期の学者で、この本はヨーロッパで成功した人の伝記を集めたものです。イギリスの功利主義で「自らが一生懸命になることによって社会が輝く。社会が輝くことによって自分も輝く。これこそが自分の道である。」と書かれていますが、西国立志編では「自らの利益のために働く者は滅びる。公の利益のために働く者は栄える。」と言っています。私はこの考えに深く共鳴したので現代語訳に直して「現代語訳 西国立志編 スマイルズの『自助論』」( PHP新書)として出しました。
――近現代の日本の歴史を見ても、その気概が国を発展させてきたと感じます。
金谷俊一郎氏: 幕末の志士たちや、明治の人たちも同様です。最初に話したタクシーの運転手さんも、自分の利益だけを考えるのであれば、震災孤児を養う必要はないわけです。社会を輝かせるために自らが頑張る。頑張ることによって社会が輝く。輝いた社会によって自分も輝いてかみ合っていく。これが、ペリー来航から50年足らずで世界の3大国になった、戦後の焼け野原からわずか23年でGNP第2位になった日本の源泉じゃないのかと思うのです。
――それが金谷さんの座右の銘にもなっていると。
金谷俊一郎氏: 伝教大師最澄の言葉で「自利とは利他をいう」という言葉です。自らが一生懸命打ち込めることで、それが他人の利益になることであれば、それはあなたがやるべきこと、つまりは天職なのです。自らが一生懸命打ち込むということ。だから嫌なことを無理にやる必要はありません。もちろん、他人の犠牲になる必要もありません。
著書一覧『 金谷俊一郎 』