より良い「学び」「教育」をめざしたい
早稲田大学商学学術院教授である井上達彦さんは、「行動する知識人を育成する」をモットーに、研究分野であるビジネス・システム(価値創造システム)、ビジネス・モデル・デザイン、経営組織論、経営戦略論を切り口にゼミナールを開講しており、そこは「ものごとの本質を見抜き、コンセプトを生み出す力」、「客観的に分析して、数字で説得する力」、「行動によって学び、実践していく力」を習得できる『知のレストラン』と呼ばれています。自身のテニス経験をふんだんに交えながら、知を愉しむ井上先生の想いを語って頂きました。
「ない」ものをいかに説明するか
――「行動する知識人を育成する」がライフワークということですが。
井上達彦氏: 僕は活きた経営学をやりたいと思っているんです。経営学は、「アートなのかサイエンスなのか」でいつも議論が分かれる学問です。経営のことをよくご存じの先生方はみんな、最後は「アートだ」と言われます。そして、我々学者の使命としては、「このアートをどこまで科学の言葉で言い表すか」にあります。
大学院は学者を育てる場所です。ですが学部学生は、実際に現場に行きます。だから僕はそのアートの部分を教えたい。アートの部分をサイエンスにする時、実務の最先端から逆にサイエンスが学べる。その先に新しい現象が起き、新しい経営があり、新しいイノベーションがある。それをいかに理論で説明して再現していくか。フロンティアは常に実践にあるわけです。そういったスタンスに立つと、現場に出て体を動かして感じたものをいかに言葉に言い表すか。それを上司に伝えて新製品にするためにはロジックとデータが必要です。ただ、新しいものは「世の中に存在しない」ものですから、実証できない。ですから、予測かそれを間接的に支援する前提条件をロジックと数字で表すようにするんです。
――いつごろから、経営学に興味を持つ事になったのでしょうか。
井上達彦氏: 大学に入ってからですが、それ以前にも両親が社会学者と社会心理学者ということもあり、家の廊下にはバカみたいに本が並んでいました。ですから、そういう系統の本は多く読みましたね。子供の頃は阪神の西宮に住んでいて、そこそこの都会でしたが、田舎があったので夏休みは自然の中で過ごしていました。本当に普通の子供だったので、周りの大学教授に比べると、幼少時代からの勉強量は比べものにならないぐらい少なかったと思いますね(笑)。
中学生の当時、僕は学級委員長をやっていたんですが、いじめに遭ったりもしました。「なんか生意気だ」「出しゃばり過ぎだ」と言われまして(笑)、部活のOBの先輩からも「なんか偉そうだ」と言われたりして、暴力もあって。今思えば結構ひどいものでした。ただ、先生たちからは信頼されていたので、学校に迷惑をかけたくなくていじめで被害があっても騒ぎにならないようにしました。でも、今考えれば体制や我慢や日本的な美徳というのを子供ながらに感じて、それに合わせていたのかもしれません。まずは適応してみる。「ネガティブなものとにらめっこする」というか、目をそらさないようにして、それから動くという感じだと思います。
アメリカで「学ぶ」楽しさを知った
井上達彦氏: 高校の頃はテニスばかりやっていて、それで大学では自分たちでテニスサークルを作りました。2年目には100人ぐらいになったかな。今でも続いているんですよ、「ローランギャロ」というサークルです。それで、とにかく2年間は徹底的に遊びました。遊びすぎて「これではまずい」と思って1年間休学し、アメリカに行きました(笑)。当時は今のように交換留学という制度もないですし、「休学が教授会で通ったよ」とゼミの先生からわざわざ連絡があったぐらいで、珍しかったみたいですね。
――一念発起のアメリカ行きだったんですね。
井上達彦氏: 行く前は、漠然と「専門的な何か」、今で言う「プロフェッショナルになりたい」という意識はしていたと思いますが、実際に行って初めて明確になった気がします。
アメリカ留学の1年間は結構辛かったんです。インターナショナルオフィスのディーンが、金銭的に恵まれてない人たちのサポートを一生懸命するのですが、「日本人は金があるだろう」ってわりと冷たくて(笑)。僕は英語力もなかったので、最初は英語学校に入って途中から正規のアンダーグラデュエイト(学士号を取るための学部)に移りました。それもきっかけはテニスなんです。
アメリカでも、やはりテニス部に入りたかったのですが、語学学校だと入れない。それが悔しくて、ディーンに相談したら、当時「TOEFLで550以上なら入れる。けれど、お前が取れるとは思えない」とあからさまに言われて(笑)。「よし、取ってやる!」ってその夏のセッションに寮を飛び出して香港の人たちと一緒に住んでTOEFLの勉強をし、秋から正規の学生になったんです。
――井上先生の原動力はどうやらテニスのようです(笑)。
井上達彦氏: もちろんテニスだけではありません。文武両道です(笑)。経済学や会計学は95点、100点で、クラスで同率1位という感じでしたね。向こうでは20人ぐらいのカレッジで、インタラクティブで、テキストもしっかりしていました。テキストを読んで話を聞けばきちんと成績が付いて、月曜日から金曜日までは一生懸命勉強するけれど、金曜日の夜には完全にオフになって、週末はもうバカみたいに遊ぶ。勉強している人たちはとてもクールで、かっこよくてすごく自然で、もうあの時ばかりは、僕はこの国で生まれてこの国の言葉で育ってここにいたかったなと心底思いましたね(笑)。
ある意味、日本の大学が反面教師になりました。400人ぐらいの統計学の教室で、だんだん減って最後は10人ぐらいになっていて、それなのにみんな単位を取れているというおかしなことが、当時いっぱいありました。
――教育システムの違いを肌で感じたんですね。
井上達彦氏: 当時、アメリカではアンダーグラデュエイトに入る前に図書館や百科事典の使い方、レポートの書き方、パラグラフライティングの作り方を全て学びました。入ったらきちんと授業についていってレポートを書いて試験に通るように、発言やプレゼンテーションもできるように。そういうトレーニングをプログラムで用意している、それが学ぶ楽しさにもつながります。学ぶ楽しさ、勉強じゃないんですよね。日本は試験のために勉強する。中学受験、高校受験、大学受験。入試のために勉強する繰り返しなので、全く感覚が違うんです。教育の問題、特に大学教育について「何とかこういう素晴らしい学生生活を日本にも」と強く思ったんです。それで、研究者・教育者になるべく大学院に行こうと決めました。