吉見俊哉

Profile

1957年東京都生まれ。1987年東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。東京大学新聞研究所助手、助教授、同社会情報研究所教授等を経て2008年度まで東京大学大学院情報学環長。2009年6月から財団法人東京大学新聞社理事長。専攻は社会学・文化研究・メディア研究。2010年より大学総合教育研究センター長、教育企画室長、大学史史料室長。2011年より東京大学副学長を兼任。著書に『都市のドラマトゥルギー』(弘文堂)、『カルチュラル・スタディーズ』(岩波書店)、『メディア文化論』(有斐閣)、『博覧会の政治学』(講談社学術文庫)、『万博と戦後日本』(講談社学術文庫)、『声の資本主義』(河出文庫)、『親米と反米』、『ポスト戦後社会』、『大学とは何か』(岩波新書)他多数。

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日本とアジアの100年を考える知のインフラを整備したい



吉見俊哉さんは、都市文化やメディア文化についての研究を行う社会学者。近現代の日本社会を、各種メディアを分析することによってとらえ直す研究にも取り組み、歴史的に価値の高い活字、映像等の資料を電子アーカイブ化するプロジェクトにも尽力しています。吉見さんに、アーカイブ化の作業での苦労、電子化の意義、また出版メディアとしての電子書籍の可能性と課題について伺いました。

「オーファン」フィルムの法的対応が急務


――早速ですが、吉見さんの活動の近況を伺えますか?


吉見俊哉氏: 今は大学の仕事ばかりしています。でも並行して、アーカイブ系の仕事を色々な形で進めていまして、記録映画のアーカイブ化のお手伝いもしています。

――いわゆる劇映画ではなく、記録映画のアーカイブ化に取り組む意義としてはどのようなことがありますか?


吉見俊哉氏: 日本には、「オーファン」つまり著作権者不明のフィルムが膨大にあります。全国の現像所には5万とも10万ともいわれるオーファンフィルムがあるんです。制作会社が現像所にプリントを依頼した時に、現像所としてはまた依頼があるかもしれないということで1本ネガのコピーを取っておくんです。ところが時間がたつ間に依頼をした制作会社が潰れてしまったりとか、組織が変わってしまったりして、そのフィルムの所有権者、著作権者が分からなくなってしまうということがあるんですね。フィルムでも黒沢明とか小津安二郎とか有名監督の売れるフィルムは引く手あまたで、著作権を巡って利権的な争いになることもある。つまりある意味でコマーシャルにやっていくことができるんです。だけど、世の中の圧倒的多数のフィルムで著作権者も所有権者も分からないものがある。ドキュメンタリーなどの貴重なフィルムですから、捨てるにも捨てられなくてたまっていくんです。

――現状ではそのようなフィルムは再び世に出る機会はないのでしょうか?


吉見俊哉氏: 公共機関、例えば国会図書館やフィルムセンターに寄贈しようと思っても、自分のものではないですからね。寄贈しようにもできなくてそのまま残ってしまう。これをどういう風に公共的なものにして、みんなが使える形にしていくかということがなかなか難しいんです。というのは、オーファンの著作権に関しては文化庁長官の裁定制度というのがあります。かなりハードルが高くて、簡単ではありませんが、それでも裁定してもらうと国のものにすることができることにはなっています。ところが所有権に関しては、現行の法秩序の中で所有権が分からなくなってしまったものを国のものにする方法が整備されていないんです。

――著作権もさることながら「フィルム」そのものの所有権が問題なのですね。


吉見俊哉氏: 一番簡単なのは夜中に赤門前にオーファンフィルムをポトッと落としてもらって(笑)、誰かがそれを拾って、交番に「落とし物です」って届ければ、落とし主は絶対現れない。それで3か月くらいして、落とし主不明ということで所有権が移るということはあるんですけれども、そういう方法を別にすれば、現行の制度では、所有権者が分からなくなってしまったものを公共物にする方法がないんです。フィルムは出版物以上にもろいから、管理ができないところに置いておくと簡単にカビるか腐るか、劣化が起こります。そこでまずはフィルムをちゃんとした環境に移して、その資源を使える形にしていくことが必要です。

知的資産の「リサイクル」時代に入った


――ほかにアーカイブ化に取り組まれている資料としてはどのようなものがありますか?


吉見俊哉氏: もう1つは脚本です。ブックスキャンさんがデータ化しているのは、本の形を取っているものだと思うんですが、すべての本が図書ではないんです。図書というカテゴリーは、ISBNコードが付いていて、ある量以上出版されて流通に乗ったものです。ところが、例えば台本・脚本は典型的で、山田太一さんとか向田邦子さんとか出版されている脚本は図書ですが、一般にテレビ番組や映画を作る時は、関係者で100部ぐらい刷って、放送されたり上映されると、脚本は要らなくなる。



そうすると多くはそのまま捨てられるけれど、その作品に出た俳優や演出家は自分の作品だから取っておく。これはある種の書物であるし、番組や映画が作られる上では一種の設計図ですから、決定的に重要なコンテンツなんですよ。でも図書ではないので国立国会図書館の納本には該当しない。図書館は図書を集めるところだから本であっても図書ではないものは除外されるんです。そういうものがいっぱいある。また、最近だと東日本大震災のアーカイブ化のお手伝いもしています。東日本大震災で失われてしまった写真など膨大なものをアーカイブ化するという作業です。

――お話をお聞きすると、流通に乗っていないものも含め、日の目を見ない価値ある資料が無数にあるのだろうと想像できます。


吉見俊哉氏: 19世紀末から20世紀末の日本において、映像とか写真とか、出版されたテキストもものすごい量がありますが、公的にきちんと保存されているのはごく上澄みの一部しかない。でも上に出ている氷山の一角だけでなく、その下の膨大な知的な資産を、どうやって再活用していくのかということがとても大きな課題なのだと思います。かつては重要だから保存して、それと離れて生産があった。でも保存が自己目的である時代は終わりました。保存するのは活用のためです。そこでデジタルの技術が、蓄積されたものをもう1回活用していくことを可能にしたわけです。大量生産、大量流通、大量消費が一元的な原理であった社会から、いわばレアメタルや古新聞がリサイクルされて再利用されていくのと同じように、文化的な資源も収集され、蓄積され、再活用することが価値を生んでいく社会に変わってきつつあると思っているんです。そういうリサイクル型の社会における公共性というのは何だろうか、単に個人が自炊してリサイクルしていくだけじゃなくて、公共的な場をどういう風に出現させていくのか、社会的にそれをどうデザインするかということが大学にいる人間としての、あるいはある種の知にかかわる人間としての課題だと思っています。

デジタル技術で情報の蓄積、オープンが可能に


――デジタルアーカイブの重要性に着目したのはいつごろでしょうか?


吉見俊哉氏: 90年代の半ばくらいからデジタル技術が知にとって、人文社会系の研究にとって、決定的に重要な意味を持つということを感じ始めました。

――90年代半ばというと、インターネットの一般化と重なる時期ですね。


吉見俊哉氏: そうですね。ただネット型の知識というのはフローですよね。フローに関しては、世の中の人たちが盛んに騒いでいましたから、自分が中心になって何かやろうとは思わなかったんです。90年代半ばからのデジタル技術が可能にしたものは2つあったと思います。1つは横にネットワーク化することによって既存の地域や組織など、色々な壁を突破して今までつながらなかった人がつながる社会を作るということ。もう1つは膨大な情報を蓄積して、それをオープンに利活用していくということです。それが何を可能にしたのかというと、貴重な資料は、現物を人に貸したりするわけにはいかないわけですが、デジタルデータにして、オープンにすれば、かなりの精度で外からもアクセスができる。現物保存と再活用の分離を可能にして、今までよりはるかに膨大なデータをオープンに使っていく可能性が見えて、2000年代に世界中で広がっていったんだと思います。

もともと僕がいたのは情報学環になる前の新聞研究所で、新聞研究所は創立者の小野秀雄さんが創立されたのですが、彼が集めた幕末から明治維新期の膨大なかわら版と新聞錦絵があったんです。まず始めたのはそのデジタルアーカイブ化の作業ですね。新聞研は戦後の日本のメディア研究を引っ張ってきた組織ですから、メディアに関する様々な蓄積があるんです。研究のベースになるコンテンツを、現物を取っておきながら世界の色々な人が研究材料にしてディスカッションできるような場ができたら面白いと思ったんです。ファイルメーカーなんかが出てきたので、ボイジャーの萩野正昭さんに手伝ってきてもらったりして、まずCD-ROM版を作りました。

近現代の第一級資料は、「映像」の中にある


――かわら版等をデジタル化する際に特に気をつけたことや苦労されたことはありますか?


吉見俊哉氏: 特にかわら版とか新聞錦絵は、イメージとテキストが実に巧みな形で組み合わされています。デジタル文化の問題というのは、映像とテキストをどういう風に組み合わせるかということなんです。同じような問題意識は、2000年前後に始めた、新聞研究所の第一次世界大戦時のプロパガンダポスターのコレクションをデジタルアーカイブ化する時にもありました。第一次世界大戦というのは面白い時期で、映画が支配的になるのは1920~30年代以降ですから、大衆的なビジュアルメディアの代表がポスターなんですよ。1900年代から1910年代というのはポスターの印刷技術が転換していく時期で、今だったらばオフセットとかになるのかもしれませんが、この時代のポスターはリトグラフ、石版はあるわ、凸版はあるわ凹版はあるわ、色々な印刷形式が混じっているんです。



で、混じっている印刷形式を虫眼鏡で見ていくと、3色の構成のされ方の違いによって印刷形式を見分けることができる。ですから、印刷形式を見分ける作業をプロの方たちと一緒にやっていました。忙しくなっちゃって挫折したんだけれども、やりたかったのは、資料のアーカイブ化だけではなくて、テクノロジーまで含めてポスターを分析して、印刷の仕方そのものをアーカイブ化することでした。作品だけをアーカイブ化するだけじゃなくて、作品が作られていくプロセスや、作品を分析していく技法というものも含めてアーカイブ化したいと思ったんです。

――映画のお話はもちろんですが、文字情報以外の情報をいかにアーカイブ化するか、という問題意識があるのですね。


吉見俊哉氏: 20世紀の人類の歴史っていうのは、相当程度に映像で描かれてきたんだと思います。だから単に文字だけで20世紀の歴史、あるいは近現代の人間の歴史、人類の歴史は語れないと思うんですね。いわゆる大学の学問というのはどうしても文字だけを相手にしがちですが、膨大な情報を写真であったり映像であったり、ポスターのような絵であったりが伝えている。これをちゃんとアーカイブ化していくことによって可能性が広がる。それから、日本社会を考えてみた時に、日本の最大の文化遺産っていうのは漫画やアニメやクールジャパンでもなければフジヤマ・ゲイシャみたいなものでもなくて、19世紀後半から20世紀の1970年代位まで、日本社会ぐらい近代を深く受け入れて発展してきた社会はないですね。90年代以降は日本はもはやワン・オブ・ゼムでしかなくて、日本と中国、韓国と差はないです。日本の出版や映画の記録が、19世紀後半からの東アジア、アジア全体の歴史を考える上で特異に重要なんです。その文化財を保存し再活用していくというのは日本社会のためだけではなくて、むしろアジア全体にとってもとても重要だと思うんですね。

電子書籍で、埋もれた「知」をよみがえらせる


――電子書籍についてはどのようなお考えでしょうか?


吉見俊哉氏: 電子書籍で、今流通している本を電子化しますというものはあまり興味がないですね。紙でも読めるけど、iPadなりで読んだ方が簡単でしょ、というのは大して面白くないですよ。僕は電子書籍の可能性には3つあると思っています。まず1つには、絶版になってしまっている、あるいは著者不明の過去の膨大な蓄積をもう1回よみがえらせることです。国立国会図書館で長尾真先生が館長の時に、近代デジタルアーカイブを作って、国立国会図書館で持っている収蔵品の電子化を進めたんです。素晴らしいプロジェクトだと思います。でも、その70パーセントはオーファンだったそうです。著作権者の生没年が分からないから権利が切れないんです。著者が何年に亡くなったというのが明確に証明できなかったら、いつまでたってもパブリックドメインにできないわけですよ。

――相当昔の本でしたら、常識的に見て明らかに著作権が切れているということもあるのではないでしょうか?


吉見俊哉氏: 「生きていれば 120歳だから多分死んでいるよね」とか、「それまで本をいっぱい書いたのに、スポッと何も出なくなったから、きっとこの辺で死んだんだよ」みたいな人が多いんですよ。でもいつ死んだか正確に分からないとダメです。没年が特定できない人が70パーセントだと、7割の本は永久にパブリックドメインにできないことになっちゃう。国会図書館にオーソライズして収蔵されているものだけでそうです。さっき申し上げた映画とか演劇とか、テレビの脚本も含めると何百万冊あるか分からない。そうすると、壮大な過去の知を僕たちは捨てているわけですよ。活字出版が一般化してくるのは19世紀半ばからです。電子書籍が持っている第1の可能性というのは、その150年間の知の蓄積というものを、もう1回よみがえらせることができるかどうかです。売れ筋の本はまあいいんだけれども、絶版になり誰も顧みることがなくなってしまった膨大なテキストデータをもう1回、電子書籍化を通してリサイクルしていく道をひらけるかどうかが第一のポイントだと思っています。

映像と文字を組み合わせた、先駆的なメディアを



吉見俊哉氏: 電子書籍の2つ目のポイントは、映像と書物の関係を変えることだと思います。つまり、未来の電子書籍というのは絶対に、文字だけで書かれるものじゃない。半分映像です。紙では無理ですが、iPadなら本の中に映像を入れることができるわけです。でも映画じゃないんですよ。映画は映像だけで完結している一つの作品世界。これまでの書物は、書物の中だけで基本的に文字で完結している世界。でもデジタルによって映像と文字の境界線が取っ払われていくわけでしょう。その時にイメージと文字をどういう風に組み合わせることが最も創造的な組み合わせ方かというのは、まだ誰も答えはあまり出していない。

――本の延長というだけではなく、新しいジャンルを生み出すということですね。


吉見俊哉氏: 片足を書物に置き、片足を映画に置くような感じですね。先ほど少し触れましたが、ポスターだとか、かわら版だとかもイメージと文字の組み合わせなんです。漫画も広告もそうでしょう。これまでも文字とイメージの組み合わせ方について様々な実験をしてきました。未来の書物においても、文字だけの書物と、映像だけの映画の中間で、イメージとテキストがある仕方で組み合わされていく実験的なメディアジャンルが生まれてくると思います。ここにどうやって電子書籍が挑戦していくことができるのか。単に文字情報に挿絵的に映像に埋め込むだけではあんまり面白くない。それから映像情報にちょっと字幕的に文字が入っているというのも面白くないですよね。ニコニコ動画みたいに、映像にガチャガチャ文字が出てくるのは、ちょっと勘弁してくれよみたいな感じですけど、もうちょっとセンスのいい、コンテンツとして精度の高い文字と映像の組み合わせをどうやって未来のメディアが作り出していくのかが2つ目だと思います。

「一冊の本」の枠組みが解体した時、教育現場は・・・



吉見俊哉氏: 3つ目は、教育と書物の関係が変わることです。今でもコンスタントに大量販売を維持しているのは、教科書か受験参考書か問題集でしょう。こんなに出版不況の時代にも、受験参考書と問題集だけは売れている。世の中に出る本のほとんどが問題集とか受験参考書みたいになっちゃったら面白くも何ともないけど、既存の教育システムを前提にすると、受験が一番大切だからという、ただそれだけの話ですよね。だけど電子書籍あるいは出版のデジタル化は、テキストあるいは書物と、教育現場の関係を変えると思っているんです。

例えば、大学の授業はシラバスに基づいてカリキュラムが作られますが、そうするとその科目で事前に予習して来なくちゃいけない文献が決まってくる。しかし、書籍の単位は1冊の本である必要がないんですよ。テキストデータだったら自由にデザインできちゃうから、よくも悪くも部分の集合体みたいになって、この先生の本と、この論文と、この本の中のチャプターを組み合わせるような教科書が一つ一つ作れるというようになってきます。個別の著作権処理ができちゃえば、オーダーメイドで、出版社と別にエスプレッソマシンみたいなもので本を作って、教室で共有して授業することができるわけです。書物そのものがもっとネット的なものになっていくといってもよいでしょう。

――可能性や希望も感じますが、著作権の問題だけではない課題もありそうですね。


吉見俊哉氏: そのネットワーク化を誰がするのかですね。そしてネットワーク化された書籍の質を誰が担保し、質が向上していくような仕組みがどのように可能になるのかということになるとも思います。近代日本には教養読者層みたいな、岩波書店だったりみすず書房だったり、名門出版社の本を必ず買う読者層がいて、その関係である程度の質を担保してきたんですね。でも今それが崩壊しつつある。そうすると有象無象というか、その時その時で売れ筋の本をバーッと出しちゃって、中身はともかく売っちゃったみたいなものが出てくるでしょうけど、それじゃ全然、書物文化って育たない。質が劣化するばっかりです。それで、「昔の本はよかったね」っていう話になる。



そうじゃない形で、電子書籍の世界で質を担保し向上させていく仕組みがどうやってできるかという一つの道は、教育の中身と本の出版がもっと結び付いてくることだと思うんです。教育のプロセスの中で書物が生まれたり、書物で生まれたものがダイレクトに教育とつながっていったりすることがあると思います。その場合には図書館が今まで以上に重要になってくるでしょう。図書館が媒介になって教室と出版をつなぐような、教室と図書館と出版社がもっと強く電子書籍というフォームをベースにつながってきて、共同で電子書籍を創造していく構造ができていくと思うんですよ。

――電子書籍には本や出版、あるいは読書や学習の概念を変えてしまう可能性もあるのですね。


吉見俊哉氏: 「書籍とは何だ」という問いになるんです。基本的に冊子体っていうのは便利で、よくできている。でも、これが溶解してくると、異なる考え方も生まれてくるかもしれないんですね。それは小学校、中学校の教育もそうですが、ものを学んでいくっていうことが、教科書を与えられて、読みましょう、覚えましょうというのではなくて、自分たちで教科書を作っていく。卒業文集みたいなものじゃなくて、ちゃんと教科書を作っていくためには先生の指導の在り方も変わらなくちゃいけないし、先生と子供たちと出版社と図書館が一緒になって本の作り手になっていかなくちゃいけない。教育の仕組みが同時に出版の仕組みでもあるという形ができていくというのが、もう1つの電子書籍の可能性ですね。

単に本をどこにも持って行けて便利というだけだと、出版社を殺しちゃうんです。出版社を生かす電子書籍の形を見つけなくちゃいけない。それは単に出版社が潰れて失業者が出たら困るということじゃなくて、出版社の中で経験値として蓄積されている編集や出版にかかわる技術があるわけじゃないですか。その技術は出版的な知がある限り決定的に重要なんですよ。それは何百年をかけて蓄積されてきたものですから、それをデジタルがつぶしちゃうとすごく損失なわけですよね。それを生かすために電子書籍は単に既存の紙媒体を電子化するということではなくて、その先に新しい可能性を生み出す責任があるんだと思うんですね。

日本がアジアの盟主だった時代の終わり


――今後研究やアーカイブ化の活動で追求していきたいことにはどのようなことがありますか?


吉見俊哉氏: 僕、歴史は25年周期で変化するという風な説を唱えているんです。根拠が怪しくて、半分まゆつばの話として聞いてください。1945年が一つの日本の歴史にとって転換点だったとすると、1945年に25年を足すと1970年。1970年って大阪万博の年で、1945から1970までの25年間というのは、日本は復興と高度経済成長の右肩上がりの25年間です。戦争で負けたけれども復興してどんどん社会が豊かになっていく、とってもハッピーな25年間。で、1970から25年の1995年に何が起こっているかというと、阪神大震災とオウム真理教の事件です。この25年間は安定、成熟の25年間で、日本はとても豊かで、バブルもあってみんなリッチだった時代ですね。この50年間というのは広い意味での日本の戦後です。

――そうすると、今は1995年からの25年期の後半ですが、どういった時代として描くことができそうですか?


吉見俊哉氏: まず戦後、右肩上がりに25年来て、今度、横に25年来て、1995年から日本の急激な没落が始まった。高度成長と同じように、もう急降下している。でも、今もう95年からもう17年たったから、結構過ぎたんです(笑)。安倍政権でもまだダメで、要するにいつ下げ止まるかっていうと2020年ごろ。まあプラスマイナス3ぐらいは誤差だから、早ければ2017年位。あと4年我慢したら下げ止まって、また復活するぞと(笑)。ただ、それよりも重要なことは、下降が始まった1995年までの歴史をどう考えるかということです。1945年から25年間さかのぼってみると1920年で、この年にはあまり大したことは起きないんだけれども、マイナス1年すると1919年で、これは第一次世界大戦が終わった年ですね。それに、マイナス3年すると1917年のロシア革命ですね。で、プラス3すると1923年で関東大震災。そして1920年から約25年間を引いた1894年に何が起こったか分かりますか?

――日清戦争の年ですね。


吉見俊哉氏: そう。 1894年から約25年前の1870年は、特に何も起こっていないんだけど、それから2年引くと1868年、明治維新なんですよ。この辺になると悪ノリですが、1870年から25年を引いた1845年からマイナス3年すると1842年のアヘン戦争。1845年からプラス3年すると2月革命、3月革命。共産党宣言というヨーロッパ激動の年だった。話を戻しますが、1945年からの50年が戦後ですが、50年単位以上に重要なのは100年単位の歴史で、1895年から1995年の100年間、日清戦争によって日本が帝国化してからの100年間というのは、東アジアの中で日本が中心であった時代です。ヨーロッパが革命の嵐で、対外的にはアヘン戦争でヨーロッパの植民地主義、帝国主義が世界中に出て行って、アジアは植民地化されていく。この帝国主義化の波の中で、日本が対抗してアジアの帝国になってくる。孫文も日本に留学していましたが、中国とか韓国の人たちが使っている色々な基本概念もヨーロッパから日本経由で入っていたものって結構あるわけです。



そしてより強い帝国であるアメリカに日本は負けるんだけれども、でも1990年代までのこの50年間の戦後を通じてアメリカに最も近い国として、つまりアメリカの傘の下で平和で豊かに、アジアの中心であり続けたんですね。ところが歴史を見てみると東アジア全体の中で日本が中心であった時代なんて例外的なんです。そして、それが1995年に終わった。戦前と戦後は敗戦ということによって分けられているけれども、しかしアジアの中で日本が近代の中心だったという歴史においては連続なんです。

あまねく利活用できる公共的なアーカイブを


――そのような時代を生きる私たちには、どのような課題が突きつけられているのでしょうか?


吉見俊哉氏: 今の社会というのは、一つの時代が明らかに終わって、そしてその先がまだ見えないでいる状態にあるんだという風に思います。アジアにおける日本の100年とは一体何だったのかということを問い返すべき地点にいるんです。90年代以降、失われた10年、20年、30年。どんどん失い続けているんだけれども、日本の復活って簡単な話じゃないと思うんですよ。過去の50年間なり100年間なりに、どうけりをつけるのかっていうことを、日本の国内はもとよりアジア共同で考えなければいけない。それをどうやって考えるのかというと、やっぱりアーカイブが重要です。つまり過去の知の蓄積っていうものを、日本だけにとどめずにアジア共有のものにしていく必要があるんだと思うんです。

――まさに吉見さんの活動につながってくるのですね。


吉見俊哉氏: 僕ができることはごく一部なんですけれども、先ほど申し上げたデジタルアーカイブにしても電子書籍にしても、過去50年間、100年間の、日本だけではなく東アジア全体における知識の見直しにつながっていくべきだと思うんですね。僕は日本近代の問い直し、あるいは戦後におけるアメリカという存在の問い直しを研究活動としてやっていますが、それを考えるインフラの整備として、書籍だけじゃなく記録映画等の映像をちゃんと蓄積して利活用できる形にすることが大切。それを大学の研究者だけじゃなくて、中学生や高校生が授業で自由に使いながら過去について考えることができるような仕組みを作っていく作業を進めていくべきです。自分で研究したり、著作を書いたりすることももちろんありますが、20世紀の日本を根底から考えるための公共的なアーカイブを作っていく必要があると思っています。

(聞き手:沖中幸太郎)

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この著者のタグ: 『大学教授』 『歴史』 『教育』 『メディア』 『フィルム』 『アーカイブ』

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