糸川洋

Profile

1949年、東京生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業後、医療器械メーカー勤務、マニュアルライターなどを経て翻訳者に。著作『死者は語る』、訳書に『僕らは星のかけら』、『ポアンカレ予想を解いた数学者』、『数学のおもちゃ箱』、『マーカス・チャウンの太陽系』(iPadアプリ)など物理学や数学に関する訳本が多数あることで知られる。自著絶版作品であった『死者は語る~リーディングの奇跡~』を2012年4月に電子書籍アプリ『死者は語る』としてApp Storeから自らリリース。大ヒットアプリ『マーカス・チャウンの太陽系図鑑』にも出てくる小惑星イトカワ。その由来になった糸川英夫博士は、氏の伯父に当たる。

Book Information

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――早速ですが、今回すでに絶版になったご自著『死者は語る』を電子書籍アプリとして復活されておりますが、その経緯から伺えますか。

糸川洋氏: この『死者は語る』という本は20年前に講談社から出たのですが、もう絶版になっています。しかしアマゾンには中古のアイテムとして載っていました。当然それだけ昔の本だから、1回もレビューなんか付いたことないんです。それが今年の1月になって急にレビューを書いた人がいました。『これを読んで心の癒しを得た』と絶賛してくれたんです。それで、出来るだけ多くの人に読んでもらいたいという思いになりました。しかし残念ながらもう絶版という状況で、考えた末『それじゃあ電子出版しちゃえばいいんじゃない』という、わりと安易な発想から出発しました。(笑)

――実際にアプリにして、電子ブックとして復活させるというのは驚きです。


糸川洋氏: 途中で何度も、『止めようかな』と挫折しそうになりましたよ。(笑)テキストファイルをアプリにするまでも、もちろん大変だけど、実機にインストールして動くことを確認して、いよいよアップルに申請する段階で、いろいろ指示される。たとえば、アプリのサポート用のURLを指定しなくちゃいけない。僕はブログをやっていないからURLがないし、まあいいやと、省略して進めていたら、『入れなきゃダメだ』と注意を受けた(笑)。しょうがないから急遽ブログを作ってなんとかしました。そしてようやく、アップロード待ちという状態までこぎつけたんです。いよいよアップロードしたプログラムなんですが、今度は最初に「Validate」――つまり「検証」というボタンがあって、それをクリックすると色々なメッセージが出てきたんです。

――直前まではうまくいったのに実際にアップしてみるとうまくいかないということが発生したんですね。


糸川洋氏: 『あなたの指定したアイコンファイルは最上部のフォルダにない』と言われても、さっぱりわけがわからない。『何言ってるの、あるじゃん。何言ってるの?』と。(笑)そのエラーに悩まされる人っていっぱいいるんです。何がいけないのか、googleで調べました。アイコンをiPhone用とiPad用と2つ指定するんだけど、僕が使ったプログラムでは、iPhone用は『I』が大文字になっていて『Icon.png』、iPad用は『i』が小文字になっていて『icon72.png』。これはもしかして大文字・小文字の違いの問題かな、と思って。色々調べると『大文字にしなくちゃダメだぞ』という情報があったので、両方のファイル名の先頭を大文字にしてみたけれども、ダメ。とにかく何をやっても全部ダメ。最後は、一つ目のIconのアイが大文字になっているのがいけないんじゃないかと疑いはじめた。買ったツールで元々そう表示されていたから、まさかそこが間違いだと思わなかった。けど、念のためにそれを小文字にしたんです。そうしたらアプリの検証に成功した。(笑)

――作り手と検証する側が同一人物だとなかなかミスの発見など難しいですよね。大きなミスだったら分かりやすいと思うんですけど、些細なレベルだったりすると特に大変そうですね。


糸川洋氏: アップルのメッセージは非常に不親切なんですよ。ただ、「あなたこれが小文字だよ」とか「大文字だよ」とか言ってくれればいいのに(笑)、メッセージは、『あなたの指定したアイコンはない』。それじゃあ分からないだろう、と思いますね。ハードルが高すぎる。(笑)

――でもそのハードルを超えられた、試行錯誤の連続でアプリの申請が成功したわけですね。夜中の2時に。


糸川洋氏: もうバンザイしましたね。夜中の2時に『ヤッター!』って。楽しいんだよね、やっぱり。障害があって乗り越える時の喜びは、大きいですよ。もう3年くらい前の話なんだけど、テレビでiPhoneアプリが取り上げられていたんです。普通の主婦が作ってますという内容だったと思う。今考えると、iPhone講座でアプリの作り方を教えてウン十万円という講座を運営している会社の宣伝だったんですね。僕は真に受けてしまった。(笑)僕は昔、プログラミングをやっていたから、『C言語がわかってりゃすぐ出来るだろう』と思っていたんです。いざ始めるにあたり、ふと考えたらiPhoneがない。その番組を彼女(同席中の糸川氏の奥様)も見ていたわけ。何気なく、「否定されるかな」と思いながら、彼女に聞いてみたんです。『iPhoneアプリ面白いんじゃないかなと思うんだ』と。そうしたら、『私もあれは面白いと思う』と言うわけです。そこで、意見が一致してiPhoneをすぐに買いに行って、それからMacもないからMacbook買いに行って、それからアプリの作り方っていう本を買いに行って…。それでシコシコと作り始めて一応、作法を覚えたんですよね。でも、自分でアプリを作るって相当大変なことだったんだなって、今は思います。

――想いが全て実を結んだわけですね、おめでとうございます。


糸川洋氏: そうそう。自分でアプリを作って売り出すっていうのが憧れだったわけなんです。

――(アプリを触ってみて)本当に扱いやすいですね。先ほどお話のあったアマゾンでレビューを書かれた方って本を読まれた方なんでしょうか。


糸川洋氏: 中古で買ったんですって。昔図書館で読んで、すごく良かったんだけど、どうしても自分の手元に置きたいと思って見たら中古で売っていたから買いましたと。改めて読んだら良かったという話。本当は、その当時書けなかった事を今回電子書籍にした際に書こうと思ったんだけど、結局プライバシーの問題があるから書けないんですよ。ものすごい事がいっぱいあるわけ。こういう所では話せるんだけど。書いたら絶対大騒ぎになるとかね。(笑)

――それを目の当たりにされたんですよね。


糸川洋氏: とある作家のリーディングで三島由紀夫が出てきて、その時に“私はユキオだ、ユキオだ”って霊が呼びかけているんだけど、その作家は気が付かないんですよ(笑)“ユキオ”って僕は絶対、三島由紀夫だと思ったんだけど、でもそういう時にヒントを与えちゃいけないの、絶対に。で、その作家は『知らんなぁ、ユキオなんて奴は知らんなぁ』で終わってしまったんです。

――確か『はい』か『いいえ』で答えていくんですよね。


糸川洋氏: そうです。で結局認識できなくって終わっちゃったのね。後日、その作家を担当していた出版社の編集者に、『もしかすると、あの先生のリーディングに出てきたのは三島由紀夫じゃないかと思うんだけど』って話すと、その彼が、卒業論文で三島由紀夫を取り上げたぐらいの三島由紀夫ファンで、『僕も絶対三島由紀夫だと思います』と言うんですね。なぜ彼がそう確信したかというと、まだ未発表で、そのときその作家が執筆していた小説のテーマが輪廻転生なんですよ。で、三島由紀夫の最期の遺作『豊饒の海』、これも輪廻転生がテーマ。だから、その作家が認識してくれたら、そこで輪廻転生のおもしろい話が出たんじゃないか、惜しいことをしたなあ、と思いましたね。


――リーディングをされるジョージ・アンダーソン自身も自分の能力が絶対なものではない、という認識をお持ちなんですよね。


糸川洋氏: 彼はごく常識人なんですけど、どうしても占いみたいな感じで予言者として捉える人がいます。アドバイスを求めてくるんですね。まあ、基本的に『自分の事はあなたが自分で考えて決めなさい。自分で決めなきゃ人生の意味がないでしょ』と言っているんですがね。東日本大震災の直前に封切られたクリント・イーストウッド監督の映画『ヒアアフター』。冒頭のシーンがタイの津波で、上映が中止になったあの映画の中でマット・デイモンが霊媒の役をやって、まったくジョージそっくり。ああ、あれジョージのリーディングを参考にしたなと思って。ジョージとまったく同じようにこうやって…。彼(ジョージ)もね、一時ノイローゼになって。お金の事でもめて、もうこんなことやりたくないって、しばらく鬱状態になっちゃったんだよね。

――ジョージさんとは、単なる翻訳者、通訳と霊能者との関係を超えた深いつながりというか。確かお二人ともリーディングを受けられていますよね。


糸川洋氏: うん。リーディングに関係なく2回ぐらい日本に来ているしね。その時はリーディングも何もしないで、プライベートで遊びましたね。

――話が楽しすぎて、引きこまれてしまいました。それではこちらの質問もさせて頂きます。翻訳者というお仕事柄、数多くの書籍を読まれているとは思いますが、今どんな本読まれていますか。


糸川洋氏: まあ、小説もあるし科学物もあるし、本当に色々ですね。

――様々なジャンルの本を読まれるんですね。だいたい月にどれくらい読まれますか。


糸川洋氏: それがね、平行して読むんですよね。例えばキンドルでね。今平行して読んでいるのが、キンドルだけでも5冊ぐらい。こういう癖があるのね。一方で日本語の本も読んでいるし、だから月に何冊っていうのは難しいですね。

――1冊終わって次に、というのではなくて同時平行で読まれるんですね。


――同時に何冊か読む方と、一冊読破してまた一冊と…。色んな方がいらっしゃいますね。おそらく興味が多方面にわたっていらっしゃるんでしょうね。


糸川洋氏: そうそう。のってくるとそればっかりガーっと読むけど、また別の本が気になったりするんです。だから、電子書籍がない昔の時代っていうのは大変なわけですよ、何冊も持っていくのは。どこかに出掛ける時に本は必須なわけです。本がないと、『あぁ~っ』とイライラしてくる。本は持って行くんだけど、選ぶときにどれを持っていこうかな、これ面白いけど、これも気になる。そうすると3冊ぐらいになってしまって重いなぁとかね。それが電子書籍だと、『あぁ、楽になったなあ』と感じるわけです。だからもの凄く助かっていますよ、電子書籍の存在は。

――本を持ち歩くというよりも、本棚を持ち歩けるに等しいですよね。ただ、人によっては大事に持っていた紙の本も大切なものだと思います。特別な装丁を施された本だとか、思い入れのある本っていうのは別だと思うんですけども、単純に読むための本に関して電子化される事に、特に抵抗感はありませんか。


糸川洋氏: 何にもないです(笑)

糸川氏奥様 : ホコリが付かないからいいのよね。

――電子書籍の利用頻度、高そうですね。


糸川洋氏: そうですね。Kindle以前もWebで本を読んだことはあるけど、Kindleを買ってから、『こんな便利な物があるんだ』と思いましたね。それに比べて日本の電子書籍の事情を見ると、インターフェイスは違う、端末を替えると急にアクセス出来なくなる、前に買った書籍が見られなくなる、あれにもの凄く違和感を覚えたんです。

――自分の所有物として購入した本が、端末が違ったら読めないっていうのは困りますよね。


糸川洋氏: Kindle の考え方は、クラウドに置いておいて、あなたのを預かっておきますよと、自由に見てね、という感じですよね。一方、日本の場合はというと、せいぜい何台の端末までは許すとかですよね。みんなガラパゴスの中のガラパゴスなんですよ。ミニガラパゴス(笑)。ところで、『ものづくり革命』という昔僕が訳した本の中で、ビット&アトム研究所と『ファブラブ』について書かれたものがあります。電子の世界とフィジカルの世界を両方結びつけるべきだっていう考えで。安い工作機械を使って、まあ研究所で買える程度の物を使って学生達を集めて学生達が自分の使いたいものを作ると。自分の手で。例えば、ストレスがたまったときに、思いっきり袋の中にワーっと罵詈雑言をはき出してそれを録音するっていう変な人もいるし、何をやるかはとにかく自由なんですよね。マサチューセッツ工科大学だから、ほとんど工学部の技術系の人が受講しに来ると思ったら、あそこも色々なアートや文科系の人達もいるんですね。そういう人たちが個人的な欲求を持っているけど、それを実現できるものがない。本当に欲しい者を自分で作れるのだったら作りたい。というような趣旨の本なんですけど。日本でもファブラブっていう動きが出てきて、それが最近になって脚光を浴びているらしい。鎌倉で今、慶応の先生が中心になってそれを主催していると。で、そこのいわば教科書みたいになっているらしいんです。その『ものづくり革命』が。それがわずか6年前だけどもう絶版になっちゃっているんです。学術的には貴重な本でも、たいして売れない本、分母が少ない本っていうのは、そうやって絶版の憂き目にあっちゃう訳ですよ。そこを何とか突破したい。電子化したいと。紙の書籍で復刊するとなると、何百万円かかるか知らないけど、大変なことで、何千部かの売上が見込めないと踏み切れないでしょ?電子化すれば、コストがべらぼうに安くなるわけですよね。電子化する場合、執筆当時書いたテキストがデータとして残っていても、やっぱり最後に出版社の赤(修正)が入っていますから、突き合わせをやらなければいけないですよね。だったら本をスキャンするのがはやいんじゃないかと思うわけです。復刻リクエストみたいなものがあるでしょ。

――そういったところでも出版社の目利き、が活躍しそうですね。




糸川洋氏: やっぱりプロとしての目ですよね。編集者次第なんですけど、鋭い視点から間違いを指摘してくれるし、いい方向に持っていってくれる。これはやっぱり必要ですね。それから、読み手からすると出版社に対する信用ってありますよね。誰か無名の人が書いた物よりも、例えば『講談社から出ているから、文藝春秋から出ているから』購入すると。それはある意味お墨付きであり、ちゃんとした関門をくぐってきた一定の品質を保証している書籍なんだという証明の代わりのようなもの、品質保証者みたいな役割じゃないかと僕は思うんだけどね。

――プロの目を持って選定する事というのがますます付加価値として高められそうですね。今お話頂いたような電子書籍を取り巻く現状ですが、今後どのようなことを望まれていますか。


糸川洋氏: まあ、日本の電子書籍に関して言えば、『競争』ではないグループ間の『争い』はやめてほしい。それは何も生まないし。結局は日本の液晶テレビが衰退したのも、同じような物をちょっとずつ差別化して、お互いに競争して潰し合っちゃった結果だと思うんです。そういう事をやらないで、何故もっと広い視野に立って、全出版者が共通でクラウドを持って管理するというようなシステムを作れないの?と思うわけです。だから僕は今Kindleの日本語版とかを期待しているんだけど、いつまでたっても実現しない。これは相当抵抗があるんじゃないだろうかと心配しています。

――出版業界というのは、文化の担い手であると思うので今後もますます期待されますね。


糸川洋氏: だからね、例えば今回みたいに、自分の書いた本をスキャンしてもらってデータ化してそれを電子書籍にしましたよと。それがこうやって売れているんですよと。それはある意味そういう活動に市民権を与えることになると思う。だから宣伝してください(笑)

――しっかりと取材させて頂きます。(笑)


糸川洋氏: ええ(笑)。これはあとがきに書いたんだけど、自分の書いた本が絶版になるというのは非常に悲しいことで、今まではほとんどそれを救済する手段はなかったけど、こうやって私が実際にやっているのは、それが出来ることを証すためにもやっているんだよと。これに刺激を受けて、みんなどんどんやってくださいよ、と書いてあります。

――そうなんですね。今まではやりたくでも出来なかった、解決したくても解決出来なかった絶版本に対する救済策として、電子化という方法を使わない手はない、ということなんですね。


糸川氏奥様 : そうですね。それにしてもこの歳でITに詳しいっていう人なかなかいないんですよね。

糸川洋氏: 同期会とか同窓会とか行くでしょう。『お前何やっているの?』と言われるんです。『iPadのアプリとかを制作しているんだけれども…』と説明しても『iPad、なんだいそれは』と言うことになる(笑)。誰も持っていない。30人、40人ぐらいで1人も持っていないの。『お前等何でiPad持っていないんだよっ』て言うと『何するんだよと。携帯があるからいいよっ』って、そうじゃないだろと。(笑)

――何だか笑い話ですが、『アイフォーン知っているよ』と言って、『病院のナースコールで押すアレだろ』という方もいらっしゃったらしいですけど。(笑)時間もあっという間に過ぎ最後の質問になりましたが、電子化で、今後何が変わるのか、読み手にとって書き手にとってどういった影響を与えると思われますか。


糸川洋氏: まあ、インターネットが普及したことによる書き手の意識の変化っていうのはあるかもしれないですね。昔、例えば『WE DON’T DIE』の訳本を出した頃には、読者カードっていうのがあったんですが、今はもう全然ないですね。読者カードは結構たくさん送られてきました。他にも出版社に手紙が来ていましたね。そういうのが定期的に送られてきて、それを読んで『なるほど、こういう人もいるのか』とか思いましたね。あと刑務所の中から書いている人とか。まあ、いろいろな人がいますよ。死後の世界を扱った本だから、怖い手紙もあったけど。でも、それが唯一の読者との接点だものね。電子書籍というよりAmazonみたいなサービスが出来たり、ブログが登場してから、直接読者のレビューや感想を読めるようになった。そうすると、うれしい事もあるけども、傷つく事もある。「何だ、この翻訳は下手だなあ」とか、「分かりにくいなあ」とか。色々な事を言う人がいるわけですよ。『超マシン誕生』という本を訳した時には、何かこの翻訳は『のっぺりしている』とかTwitterで言われましてね。

――難しいですよね、特に扱う題材がサイエンスだったりすると、その技術的な側面での翻訳プラスアルファの表現、文章形式が好まれそうですよね。


糸川洋氏: そうそう、盛り上がりに欠ける、とか(笑)。盛り上がりって言われても、ねぇ。(笑)ただそういった読者の声は、自分にとって大きな励みになるし、へこむ原因にもなる。そういう両方の面があるけれど、電子書籍になれば、直接的な交流が出てくるでしょうね。だけど、だからと言って、書き手がこれは電子書籍だから書き方を変えるとか、これは紙の書籍だから…という事は無いと思うんですよね。ただ、もし電子書籍でこういう事ができたら、本当はここでリンクを飛ばしたい、という事例はあるでしょうね。『マーカス・チャウンの太陽系図鑑』についていえば、ニュートリノってなんでも突き通しちゃうんですけど、スーパーカミオカンデというのがありますよね、小柴さんの。あそこで撮った夜の太陽という画像があるんですよ。何かって言うと、地球の昼側にある太陽から飛んできたニュートリノが地球を突き抜けて裏側に出たもの。夜の太陽って不思議ですよね。

――なんだか、文学的ですね。素敵ですね。


糸川洋氏: マーカス・チャウンはそういうのが大好きなんです。彼はその夜の太陽の画像を自分のウェブサイトに載っけているわけです。だから例えば、自分がこのiPadの『太陽系』を作ったら、ニュートリノのところにそのリンクを入れたいなと思うわけです。紙ではそんな事できないですよね。

――はい。そういった意味で制約から解き放たれた読み物コンテンツになりうるわけなんですね。


糸川洋氏: そう。だから広がりがすごく持てるっていう意味じゃ面白いですよね。

――今回の『マーカス・チャウンの太陽系図鑑』、是非こういう読み方、発見をして欲しいという所はありますか。


糸川洋氏: まあ、発見というか、iPadと紙の書籍の両方を持っている人には、やっぱり両方読みくらべて頂きたい。どちらにも利点があって、大陸移動説や、その他いろいろなシュミレーションが動的にわかりやすいのが電子書籍版。でも、段階的な詳しい説明は、紙の書籍でなくちゃ力不足だし、そういうのも必要なんだなって、改めて思いましたよ。

――どちらも補完しあっている存在なんですね。


糸川洋氏: そうなんですよ。だから電子書籍も、紙の書籍もお互いを補完し合う存在だと思っている。『マーカス・チャウンの太陽系図鑑』の紙書籍版と電子書籍版、この2つってすごく象徴的なんです。というのは、この出版元であるタッチプレスという会社は、セオドア・グレイが書いた『元素図鑑』のアプリ版を出して大ヒットしています。そのセオドア・グレイとスティーブ・ジョブズがすごく親しかったのです。彼はスティーブ・ジョブズが凄く困っていた頃に、色々とプログラミングの手助けをしてあげた。ほとんどボランティアみたいな形で。それである時、ジョブズが『iPadができるよ』と言って、グレイが『えぇ~それはいい話だね』となったんです。じゃあ、その発売に間に合わせて『元素図鑑』の本をアプリにしようじゃないかという話になったそうです。だから紙の書籍が先なんですね。本当は紙の書籍じゃなくて、水素が爆発する様子をスローモーションで見せたい、それが自分の夢だとグレイは言っていたんですね。

――仕掛けがほしい、ということですか。


糸川洋氏: そうですね。アプリ版が発売されるやいなやもの凄くウケて、今でも大変好評です。ところが今度の『マーカス・チャウンの太陽系図鑑』の場合、逆なんですね。著者であるマーカス・チャウンが話を持ちかけられたのは、iPadアプリの原稿を作ってくれということでした。彼は、『俺が図鑑を書いたらどんな図鑑が出来るのかを見せてやる』という意気込みだったんです。だから一番最初の出だしが図鑑にはあり得ないような、夏目漱石の草枕みたいなものになってる(笑)それは彼自身がSF小説を書いたり、文学も大好きで、村上春樹も大好きというバックグラウンドもあるからなんですね。通常の図鑑とちょっと違いますね。だから僕は、改めて本として読んだ時に、ちゃんと物語として成立しているのはやっぱり凄いなと思いましたね。

――ただ情報を得るための図鑑ではなく、また子ども達が読んでも、大人たちが読んでも楽しめる物語のような図鑑なんですね。ワクワクしますね。


糸川洋氏: 普通の図鑑とはひと味もふた味も違うと思っている。掲載された情報、星にまつわるエピソード、人間が中心なんですよね。

糸川洋氏: ああ。あと例の小惑星イトカワも載っている(笑)

――最近見ました。渋谷に復活したプラネタリウムで上映されていたのが小惑星イトカワを扱った物語でした。


糸川洋氏: 昔ね、僕が子どもの頃ですけど、伯父が盛んにロケットをやっていたときに、『なぜロケットを開発するの?』と、聞いた事があるんですね。何のためなのか。そうしたらもの凄くはっきり答えてくれたんです。『地球はいつまでももたないよ。やがて太陽はどんどんどんどん大きくなって、地球に住めなくなるから、その時に必ず脱出しないといけない。もしその時までに人類が生きていれば。だからロケットは必要なんだ』って。ああ、そうなんだと(笑)。今考えれば、太陽が赤色巨星になるという話なんだけど、子どもの頃は太陽が大きくなるとかってピンと来ないじゃないですか。だって、『燃えている物はやがてしぼんで暗くなるんじゃないの?』と思っていましたから。それから、やはり子供のころ、ロケットっていうのはビューっと火が出て、地面を蹴って、空気中だと空気の抵抗があって飛んでいく。だけど真空だと何も押す物がない、抵抗がないから進まないんじゃないかと考えていました。『どうやってその真空中をロケットが上に行くのか』その疑問にも、図を書いてわかりやすく教えてくれたんです。『ロケットがあって、燃焼室というのがあって…、四角い箱みたいなものの中で火薬がこうやって爆発するんだ。爆発する力は上にも向いて、その上に向いた力が燃焼室の天井を押すから飛ぶんだ』と。なるほどねって、一発で疑問が解けましたよ。(笑)

――そんな貴重な話を間近で聞ける環境にあれば、科学に興味を持たざるを得ないですよね。


糸川洋氏: そうですね。ところで、この爆笑問題の太田光さんが帯で推薦してくれている『僕らは星のかけら』。12年前の本でもうとっくに絶版になってもおかしくないんですよ。でも人気があるんですよね、この本は、すごくいい本。で、この本がきっかけで著者のマーカス・チャウンと縁ができて、その次が今回のiPadアプリ『マーカス・チャウンの太陽系』の翻訳、それから紙の書籍版の太陽系図鑑へとつながったわけです。だから書籍からアプリ、アプリからまた書籍に帰ったということです。

――紙の本での出会いが、大ヒットアプリの翻訳につながり、また紙の書籍の翻訳もするという…面白い体験ですね。


糸川洋氏: いやぁ、本当に面白い体験。だから電子媒体、紙媒体どっちかを否定されても、『そんな…両方大事でしょ』としか言えないですよね。それと書籍版『マーカス・チャウンの太陽系図鑑』の場合、どの写真を取り上げてダイナミックに見せるか、というところにも注目していただきたいですね。iPadだと画面一杯広げれば全部同じ大きさなんですよね。そこでやっぱりデザインと編集力が出てくると思います。編集者とデザイナーの腕の見せ所ですね。

――図鑑独特の紙の質、香りもすごくいいですね。(笑)


糸川洋氏: そう、だからこれを見ると、紙も電子(アプリ)版も両方いいなって思います。『電子書籍だ、いや紙の書籍だ』と言っている人には、この両方を見てほしいですよね。あと紙の本の特性を挙げるなら、ぱっと色々な物が目に入ってくるという一覧性ですよね。これはなかなか電子書籍では味わえないな。

――そうですよね。このパラパラとめくる感覚もいいですよね。でもなにしろ匂いがいいです。(笑)


糸川洋氏: それも紙の大事な部分ですね。(笑)とにかくお互いが補完し合って、時代に合わせて進化したほうが断然いいですよね。

このあとも、取材場所である『カフェ・エフェメラ(Café Ephemera)』店内で、美味しい食事をいただきながら歓談させていただいた。

(聞き手:沖中幸太郎)

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