長谷川法世

Profile

1945年、博多生まれ。福岡県立福岡高等学校を卒業後、1968年『正午の教会へ』(COM)が月齢新人賞受賞。その後、1972年の『痴連』で本格的デビュー。代表作『博多っ子純情』(双葉社)、『がんがらがん』で第26回小学館漫画賞を受賞、同年『博多町人文化勲章』を受章。その他作品に、『ぼくの西鉄ライオンズ』『博多新聞東京支社』『源氏物語(上・中・下)』NHKテレビ小説の原作『走らんか!』などがある。2004年より九州造形短期大学客員教授。「博多町家ふるさと館」の館長も務めている。

Book Information

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売れるものよりも、良いものを残したい



長谷川法世さんは福岡市博多区出身。代表作『博多っ子純情』や『博多新聞東京支社』など、作品のほとんどは博多を舞台にしています。漫画家の活動のほか、「博多町家ふるさと館」館長をつとめられ、テレビ番組の司会者や、博多通りもんのCMキャラクターとしてもご活躍されています。どのようにして今の道に至ったか、その歩みや、過去と現在の、編集者との関係についてお聞きしました。

描くだけではなく、人に見せてこそ仕上がる芸術


――どのようなお子さんでしたか?


長谷川法世氏: 引っ込み思案でした。内気です。今、福岡の九州造形短期大学で漫画を教えているんですが、内気な学生が多いですね。最初の授業で、「漫画を描くことが好きな人は、大体引きこもり的性格だよね。」といいます。「B4の原稿用紙にカリカリ描いて、一日あきないんだから」って。「だけど、引っ込み思案、引きこもり的性格と同時に自己顕示欲が強くないと漫画家にはなれない」っていうんです。人に作品を見せたいという思いがなければ、なぜ漫画を描いているのかわからなくなるから。芸術だって人に見せてこそ完成するのではないかと思います。

――描いただけで仕上がるのではないということですね。


長谷川法世氏: 誰にも見せない芸術ってあるんだろうか。誰の目にも触れないというのは、存在しない事と同じではないか。ある作家が作品を誰にも見せずに死んだとする。死後、人の目に触れたものが芸術作品となる。でも、生きているうちに人に楽しんでもらう作品、漫画を描きたいと思うなら、自己顕示欲をかきたてなければならない。売り込まなければならないんです。



『鉄腕アトム』への思い入れから生まれた、サイン会


――初めて周りの人たちに絵や漫画のようなものを描いたのはいつ頃でしたか?


長谷川法世氏: 最初に人に認められたのは小学4年生の時、同級生からでした。鉛筆で鉄腕アトムやどんぐり天狗を描いていたら、「僕にも描いて」って同級生から頼まれて。女子もいっぱい。休み時間や昼休みにわっと集まるんです。みんな、運動場へも出なくなって、私はトイレも行けないんです。サイン会みたいでしたねえ。担任の先生も苦笑いしながら、「長谷川もいろいろやることがあるんだから、学校ではもう頼むな。頼まれても描くな」ってね。

――やめろとは言われなかったのですか?


長谷川法世氏: 級長をしていて、成績も良かったんです。だからなのか、やめろとは言われませんでした。授業中でも教科書とかノートの余白に落書きばかりしてました。幾何学模様やらアトムやらぱらぱら漫画やら。

――『鉄腕アトム』には思い入れがあったのでしょうか?


長谷川法世氏: 『鉄腕アトム』を見た時、「すごい」ってね。手塚治虫さんは、漫画の一コマにキャラクターの全身を入れるんです。同じコマに4,5人描かれていて、みんなセリフがある。しかも背景も入っている状態がずっと続くわけです。他の作家はそんな描き方できません。バストアップで一コマひとりみたいな。子ども心にレベルが違うなって。「同じように描きたい」って、真似しようと思っても全然だめで。
それでとりあえず、アトムの顔とか全身とか練習していたら、友達が見て描いてくれって。自分の漫画じゃないからって言うんですが、アトムでいいからって。イガグリ君もどんぐり天狗も注文されるままに。

――「これと同じものが描きたい」と思った時が、1つの大きな節目だったのでしょうか。


長谷川法世氏: そうですね。いつのまにか何かを始めているというのが「才能」だと思うんです。意識してからは続けること。いろいろ考えて良いものにしていくっていうのが「努力」ですよね。

――小学校の頃から、漫画家になりたいと思っていたのでしょうか?


長谷川法世氏: 違います。小学校ではもう諦めかけていました。特に6年になると、「もう卒業か。中学になったら高校入試の勉強しなきゃならないから、漫画描いてる暇はないよなあ」って。それで、漫画の描き納めってことで、ストーリー漫画を描いてみたんです。帳面に鉛筆でかいて、色鉛筆で色塗って。家族に見せたら、「おお、あんたいつの間にこげんとば描いたとね」って驚かれて。3つ上の兄にも感心されました。兄はライバルというか、「お前はへたくそ」って言われてましたから嬉しかったですね。

――ストーリー漫画を描かれてみて、いかがでしたか?


長谷川法世氏: 先ず第一に「これは『禁断の惑星』の模倣じゃないか」と思いました。子ども漫画だから、少年を主人公にしたりして、作り変えもしたんですが、基本的にオリジナルでないことは自覚していました。絵に関しては、やはりバストアップが多くって。あと、最大の反省点は、ギャグがまったくなかったことなんです。手塚先生はギャグやユーモアをいれるんです。それがなかったので、「やっぱ才能ねーや」って諦めて。中学に入ったら勉強に邁進しようって思いました。

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この著者のタグ: 『漫画』 『チャレンジ』 『漫画家』 『芸術』

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