常に初心者の視点で、新時代の出版の形を追求する
山田祥寛さんは、IT関連を中心に執筆するフリーライターとして活躍しています。また、日進月歩のIT業界において、良質なコンテンツを提供し続けるため、様々な分野に強みを持つ執筆者を結集する組織「WINGSプロジェクト」を主宰しています。山田さんに、同プロジェクトのコンセプト、書き手としてのこだわり、そして電子書籍のお話も踏まえ、今後の出版業界についての考察を伺いました。
「とんがった」技術者を組織化する意義
――早速ですが、近況をお聞かせいただけますか?
山田祥寛氏: 今は書籍をメインに執筆しています。それと、WINGSプロジェクトというコミュニティの企画の立ち上げから監修をやっていて、二足のわらじでやらせていただいています。
――WINGSプロジェクトはどのような組織なのでしょうか?
山田祥寛氏: 編集プロダクションに近いのですが、編集をやらない編集プロダクションというか、不思議な位置づけです。
――元々は山田さんの作品の、査読・校正などのサポートを行うメンバーだったそうですね。
山田祥寛氏: WINGSという名前ができる前、2001年か2002年ころから、執筆のお手伝いをしてもらっていて、2003年にWINGSプロジェクトという形になったころからは、執筆者の団体として発展してきました。
――そのように形が変わってきたのはなぜだったのでしょうか?
山田祥寛氏: ITの世界は移り変わりが激しくて、しかも範囲も非常に幅広いので、私自身が1人で負っていくのは絶対無理だということですね。私自身は広い立場で全体を見渡す立場になって、メンバーは専業のSEが多いですから、技術的にとんがったところをがっちり追ってもらうという役回りです。
――山田さんの文章は、専門的な話でも、分かりやすいと定評がありますが、ライターとして心がけていることを教えてください。
山田祥寛氏: 私は、基本的に何かの専門家になりたくないという気持ちがあるんです。MicrosoftのMVPということで、Microsoftの技術の専門家と言われることが比較的多くて、もちろんMicrosoftさんは好きですが、そこだけにコミットするつもりはないんです。あくまで外部者としてその技術を見て、その中に自分が入っていく時に苦労したところであるとか、もっと知りたいと思ったところを調べながら書くということは常々心がけています。長く続けていると、どうしても専門家に近い目になってしまうので、いかに初心者の目を維持していくかが非常に難しいところですね。
「書く」ことへの想いが募り、決意の文転
――山田さんは、本を読むことや文章を書くことは小さなころからお好きでしたか?
山田祥寛氏: 私は、小説家になりたかった人間なんです。というか、過去形ではなくて、今もなりたい人間なんです。幼稚園位の時から小説家になりたいと言っていたみたいで、ノートに「日本昔話自分版」のようなものを書いて遊んでいました。子ども向けの本を幼稚園のころからかなり読んでいたようです。
――どのような本がお好きでしたか?
山田祥寛氏: 小学校のころでは江戸川乱歩のシリーズを、単行本で出ていたものは全冊読んだ記憶があります。色んなものを読みましたので、何の本が自分の人生に影響したかとか言われれば、全部ということになりますね。
――本好きにはご両親の影響などもあったのでしょうか?
山田祥寛氏: 父はまるっきり理系で、母も理系っぽい人でしたから、小説は家にほとんどなかったです。ですから、誰の影響なのかが分からなくて、生まれた時から好きだったんだろうなとしか言いようがないんです。中学、高校あたりでは、自分で書いたものを友人に見せていました。友人がそこに一生懸命書き込みしてくれたものが今でも残っていますね。
――では、学生時代はいわゆる「文系」に進まれましたか?
山田祥寛氏: そこはまた矛盾しているんですが、理系なんです。高校は理数科に行きました。親が理系でしたので、そっちに流れていったのかもしれません。ただ正直なところ、気持ちは文系の方に向いていたので、結局、高校3年の11月に文転しまして、大学は文系に行きました。
――高校3年の11月というのはかなり厳しいタイミングですね。ご両親は反対されませんでしたか?
山田祥寛氏: 反対はされたんですけど、極端な反対はなかったんです。そこは親に感謝です。「お前がやる気のある方に行った方が良いだろう」と言ってくれました。なので、そこは比較的柔軟だったのかなと思いますね。
――勉強は大変ではなかったですか?
山田祥寛氏: 一番辛かったのは世界史でした。論文もあって、教科書レベルでは対応できないものですから。でも幸いにして私、歴史が好きで、小さいころからの習慣もありましたので、文章を書くのが全く苦にならなかったのが良かったです。
著書一覧『 山田祥寛 』