掌田津耶乃

Profile

Apple IIをきっかけにのめり込みアップルショップの店員として働き始め、Mac+(日本初のMac専門月刊誌)に、記事を寄稿し始め、Mac関係の編集部に缶詰状態で働く。その後多くの記事を投稿しライターとして活躍する傍ら、フリープログラマとしてJava/PHPなどによる開発も引き受けつつ、Javaを中心としたプログラミング関係の書籍執筆。著書に『EclipseではじめるJavaフレームワーク入門』、『オープンソース徹底活用 CakePHPによるWebアプリケーション開発』などがある。 ランタサルミ・ログハウスに妻一人、子一人、猫二匹、と共に暮らす。
【オフィシャルサイト】 thttp://www.tuyano.com

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変わりゆくドキドキするものと、
ベーシックなものを読者にわかりやすく書きわける。



掌田津耶乃さんは、Appleショップ勤務後ライターとして独立され、『Mac+』のライターを経験したのちテクニカルライター兼プログラマーとして、MacからWindows関係の書籍の執筆をされています。Javaやプログラミングの専門家でいらっしゃる掌田さんに、電子書籍について、また本についてのこだわりについても伺いました。

小説家志望がいつの間にかテクニカルライターに


――早速ですが、近況を伺えますか?


掌田津耶乃氏: ここ何年かは、単行本の書き下ろしを中心にしています。もうすぐJavaスクリプト関係の入門書が秀和システムさんから出る予定になっていまして、その後ソフトバンクから、1冊出る予定ですね。

――ペンネームの由来についてお伺いできますか?


掌田津耶乃氏: もともと私はAppleの店舗に勤めていましたので、Mac関係の雑誌にライターとして書く時に、お店で扱っている商品の悪口は書けないものですから、ペンネームを作ったんです(笑)。適当に作ったものが、そのまま定着しちゃったという感じですね。

――最初にライターとして執筆されるきっかけというのは、どんなことだったのでしょうか?


掌田津耶乃氏: うちのお店に出入りしていた編集者の人たちが「MacとかApple関係の話がわかる人がいないので、誰かわかる人がいないか」と困っていたんです。そのうち、「じゃあ、あなた書いてよ」という話になって(笑)。お店で働きながら雑誌に記事を書いたりしているうちに、そっちのほうが本業になってしまいまして、だから独立するまでには書いているといっても、月に何本かのペースでしたし、書いている媒体もメジャーな雑誌というよりは、Mac系のちょっとマニアック系のところだけにちょこちょこ書いていたんですね。それで、アスキーのほうで『MacPower』とか、Macの専門誌が出るようになって、そのころから仕事の内容が変わってきた。それでMac系のライターの人が次々とフリーになっていったんですね。



――そもそも、こういったパソコンに最初に触れられたのはおいくつぐらいなんですか?


掌田津耶乃氏: 私はパソコンに触るよりはプログラミングのほうが先だったんですよ。中学ぐらいの時に、コンピューターの月刊誌をポツンポツンと見るようになってきたんです。コンピューターは何万もして買えないので本だけ買って読んで、ノートにプログラムを書いて、それで「こう動くにちがいない」みたいな想像だけをして遊んでいたんですね。何年かして、シャープのプログラム電卓というのが出てきた。これならお小遣いとかお年玉をためて買えるなと思って、それで初めて、ベーシックを打ったのが高校3年生ぐらいだったんです。その後は東京に出てきて、小説家になりたいと思って、芝居の裏方をやりながら戯曲とか脚本とかを書いたりして。生活をしなくちゃいけないので、パソコンショップでアルバイトを始めたんですね。

――あくまで生活の糧としてのアルバイトだったのですね。


掌田津耶乃氏: 結局、ライターの仕事でパソコンの雑誌に書く記事も、大勢の人に読まれるわけですから。それは記事でも何でも、小説の肥やしになるだろうというつもりでやっていたんですね。

分野は変わっても、読者に語りかけるのは同じ


――だから掌田さんの本はいわゆる解説書でも、語りかけてくれる口調なのですね。


掌田津耶乃氏: そうですね。もともとコンピューターが専門じゃないですし、そういう意味で言えば理系の人間でもない。そういう意味で、当初は本職のプログラマーの書いた本に対する違和感を自分でも抱いていたので。

――そういうところも、書く時のこだわりなのですね。


掌田津耶乃氏: そうですね。当初は編集部とか出版社もいろいろな遊びも許してくれたところがあったので、物語風にしてストーリーを作ったり、先生と生徒みたいなセッティングをしたり、そういった形で、とにかく普通にないものをいろいろ試している時期があったんです。今は出る本が多いのと、本自体がだんだん売れなくなっているのもあって、出版社側も遊びの余裕がなくなって来ている。だから非常にかたい形というんでしょうか、そういう入門書じゃないと出せなくなってきていますね。

鍋釜は買えずとも、本は買えるという家庭に育った


――物書きを目指していらしたそうですが、最初の読書体験はいくつくらいの時でしょうか?


掌田津耶乃氏: うちは父親がかなり本を読む人間だったんです。やっぱり結婚当初、鍋釜を買うお金には困っても、本を買うお金には困らないというような暮らしだったらしいんですよ。とにかく家中に本があったので、気が付けば何か読んでいたという感じですね。ハッキリとなにかを読み始めたというのは、あんまり記憶に残っていないんですけれども。人は生まれて成長する過程で本を読むものだと思っていたというか(笑)。そういう感覚ですね。小学校の時に、自分の家に本が何冊あるか調べましょうというのがあって、500冊とか書いていったら友達が「ウソつけ!ウソつけ!」とか言って、しょうがないから3人ぐらいを家に呼んで、1冊1冊数えていった。そうしたら2部屋を過ぎたぐらいで500冊を突破してしまった。小学校の時には友達から電話がかかってくると親が「今ちょっと本棚の中に入っているので」って言っていた(笑)。押し入れみたいな感じで3面が本棚になっていて、天井まで本棚だったんですね。で、子どものころは上のほうは届かないので、中に入って本棚の上に登って本を取っていたんです。

――書き手として初めて発表したことなどのエピソードをお教えください。


掌田津耶乃氏: たぶん、中学1年の時の文化祭で、小説みたいなものを模造紙に書いて発表した記憶があるんですよ。SF小説みたいな、そういう感じのもので。世界がどんどんどんどん縮小されて縮尺が変わって行くと、一つ一つの星とか物がどんどん集まってきて、だんだんそれが原子のような構造になって細胞のようになって、一つの生命体みたいな、人間みたいになってくる。そういう物語を書いた記憶があるんですよ。そのころは国語の先生が理解ある人だったので、宿題そっちのけで小説を書いては持っていったんですね。その先生のおかげですね。

著書一覧『 掌田津耶乃

この著者のタグ: 『ライター』 『コンピュータ』 『プログラミング』 『小説』 『IT』

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