電子書籍は「知の海」への新たな入り口
はせがわみやびさんは、テーブルトークRPGのリプレイや、『ファイナルファンタジーXI』シリーズ、『ティアリングサーガ』シリーズ等ゲームのノベライズ、ファンタジー小説などで人気を博す作家です。書店を営む両親のもとに育ち、本や出版、流通についても深い造詣を持つはせがわさんに、ライトノベルの執筆方法、書店の役割、電子書籍の未来などについて伺いました。
ゲームのプレーヤーの感覚を作品に取り込む
――はせがわ先生が作家活動を始めたきっかけはなんだったのでしょうか?
はせがわみやび氏: 私はもともと小説家志望ではなかったんです。大学が理科系で、東北大で岩石鉱物鉱床学、地学をやっていて、学者になりたかったのですが、大学院に進めずプログラマーとして就職しました。本や漫画が小さいころから好きで、それと一緒にゲームも好きだったんですが、仕事が忙しくて体を壊して入院したとき、当時からはやり始めていたテーブルトークというゲームの縁で知り合った師匠の深沢美潮先生に、「そんなに大変ならうちで働いてみないか」と誘われて、弟子入りしたんです。最初はテーブルトークRPGのリプレイやPlayStationなどのゲームのテキストを書いていたんですけれども、2000年くらいからゲームをノベライズする仕事を始めまして、いまに至ります。深沢先生に拾われなければどうなっていたか、って感じですね。
――作品の斬新な手法やアイデアに驚かされるのですが、執筆はどのような過程で行われているのですか?
はせがわみやび氏: ゲームのノベライズは基本的に、ゲームを遊んだ人が読むのが前提だと思うんですね。だから、ゲームで与えられる体験と同じものを与えても、それならゲームをすればいいということになると思うんです。テーブルトークのノベライズのときもそうだったんですが、あれはもともと原作の小説があるものをRPGにして、それをさらにリプレイしたものですので、最も避けようと思っていたのが、小説を読んだときと同じ感覚になることです。そうすると師匠の小説にかなうはずがない(笑)。なので、ゲームで遊んでる人が、「そうだよね」ってうなずける部分が半分。あと半分で、小説じゃないとできないことを入れようとしました。例えば、ゲームだとにおいって出てこないですよね。海の町だったら港町の潮風ですとか、干した魚のにおい、あと、砂浜をはだしで歩いたときの熱さとか、温度の情報とかを入れる。でも情報だけだと今度は小説に勝てない。それであえて、ゲームを遊んでるときの状況を取り込むんです。
――ゲームをプレイしている感覚を文章にするために、どのような工夫をされているのですか?
はせがわみやび氏: 例えば、テーブルトークの場合は実際にサイコロを振っているところを入れます。サイコロの目に一喜一憂してるところとか、マップを描くのに悪戦苦闘してるところとかは、小説には出ない。ゲームならではのところですから。キャラクターの情報じゃなくてプレーヤーの情報ですね。登場人物の情報だけ書くと、小説と同じになる。でも入れてあげないと、小説のファンには同じと思ってもらえないので入れなきゃいけない。例えば、テーブルトークの「フォーチュン・クエスト」にはパステルっていうキャラクターが出てくるんですが、パステルがどう感じたかとか、どう見えたかっていうのはもちろん入れますが、その上でパステルのプレーヤーが何を感じたのかっていうのを入れる。小説を読んだときはその小説のキャラになってみたいって思うものですが、パステルになることプラス、パステルの役のプレーヤーになっていると思わせられるかどうかです。カードゲームをやってみたくなるかどうか、MMOをやってみたくなるかどうかっていうことですよね。
「ゲームあるあるネタ」をさりげなく入れる方法
――テーブルトークとMMOではプレーヤーの感覚も異なってきますね。
はせがわみやび氏: MMOとか、『ティアリングサーガ』というPlayStationのゲームをやってたときもそうなんですけど、キャラクターじゃなくてプレーヤーが引っ掛かるところってあるんですよ。例えば、いつもここの樽で引っ掛かる、樽さえなければというのがあるとすると、それをキャラクターの情報、またプレーヤーの情報でもあるように書くんです。もう1歩進めると、ゲームだとできないことを入れることもあります。例えば、樽を壊すとか(笑)。そうすると、「俺も常々それをやってみたいと思ってたんだよ」っていうプレーヤーの思いを入れられる。
ファイナルファンタジーだと、これは僕のアイデアではなくて友人のアイデアですが、巨人族が出てくる塔ではプログラム上絶対に巨人族って階段を落っこちないんです。それなら巨人を階段から転げ落とすっていうのを入れようと。ゲームではできないけどきっとやってみたいという、プレーヤーの思いを取り入れるんですね。本家の小説だけでは味わえないこととか、ゲームだけではできないことをする。もちろん、完全に物語の中に入ってしまうノベライズを書く方もいらっしゃるんですけど、僕が書くノベライズはそういうものかなと思います。
――はせがわ先生の作品を読んだ読者の感想は、どのようなものが多いですか?
はせがわみやび氏: このキャラが好きっていう感想が1番多いですね。あと、ゲームを再現してくれているっていう声が多いのですが、プレーヤーの感覚、コントローラーを操ってるときの感覚を再現されてるとはあまり思っていないようですね。感覚を盛り込み切れていないのか、自然すぎてわかってもらえてないのかはわかりませんけれども。
――今回のインタビューを読んで初めて気付く人もいるかもしれないですね。
はせがわみやび氏: そうですね。ただ気付かせたいわけではなくて、「あるある」と思ってくれればいいことなので、ゲームをやるときにありがちなこと、あるあるネタを入れて、二重に、メタに読める様にしています。でも、やりすぎるとパロディー小説になってしまいます。あんまりプレーヤーを実感させすぎると話がそれてしまうので、基本は作品の中に入ってもらって、キャラクターと一緒に楽しんでもらって、読み終わってしばらくしたときに、「ひょっとしたら、これ、あるあるネタなのかな」ってくらいでいいかなと思います。
ゲームの世界に入り、綿密な「取材」を行う
――やはり、執筆する際にはゲームを何回もやり込んでいるのですか?
はせがわみやび氏: ものによるんですよ。TCGのものは、実は映画のノベライズなので、ゲームをやり直すってことができなかったのと、あと、どうしても時間的制約でできないこともあるんですけど、ファイナルファンタジーの場合は、まずプロットを作ってOKが出ると、実際にゲームの中に取材に行きます(笑)。イラストレーターさんもイラストを描かなきゃいけないので、実際にあちこち行ってみるんです。だから、全種族作ってあるんですよ。
何で全種族で作ってあるかって言うと、FFの場合は、見える視野が違うからなんですね。ある酒場のシーンを書くときに、体が小さいキャラクター、例えばタルタルの視点では、テーブルの上に頭が出るか出ないかっていうのを確かめなきゃいけません。サルタバルタでは、タルタルは草むらに全部隠れてしまう。草の中に隠れるって、よっぽど背の高い草じゃないとならないですよね。それを確かめるために、タルタルでサルタバルタを走ってみたりします。また、巨人が人間の何倍くらいあるか確かめるために、戦っているときにスクリーンショットを撮って身長を見てみるとか、ゲームの中に取材に行くんですね。もちろん誇張されている部分もあって、例えばMMOですと町の数とか家の数は減らしてあるんですね。そうじゃないと要らない扉がいっぱい出てきてしまうので。ですからそれは考慮しますが、基本的な情報はゲームにあります。攻略本だけで調べられる場合もあれば、実際に入って確かめる場合もありますね。
――そのような取材、作業はノベライズの作家さんは皆されているのでしょうか?
はせがわみやび氏: それは人によると思いますね。私が参考にしている先輩の篠崎砂美さんは、ゲームをやるときに全部、画面をビデオにとって、必要とあればそのビデオを巻き戻して知りたいものを見るということをされています。私は、ティアリングサーガをやったときは、ビデオも撮ったんですけれども、せりふの主要なとこだけ書き写すということもやって、あれは大変だったですね。いまはさすがにその手間は取れないので、テキストは必要なとこだけメモるか、メーカーさんに聞いてしまうとかするんですけど、当時はわざわざ止めて書き起こしていました。ファイナルファンタジーは必要なせりふだけ抜き出す感じですね。
ただ、定型でしゃべってくれるキャラクターは良いのですが、イベントキャラが1番大変でして(笑)、イベントで1回しか出てきませんから。キャラクターのせりふが拾い切れなくて、「せりふが違う」って言われたりするんですよ。どうしてだろうってあとになって色々資料を調べると、読んでなかった言い回しもしていたりします。さすがに全部のキャラのイベントを見るのは物理的に無理なのと、ある国でゲームを始めてしまうと別の国の資料が取れなかったりするので、メーカーさんに一応見せて設定とせりふの特徴の確認は取ってるんですけど、そこでフォローし切れない部分がどうしても出てしまいますね。そこは全部自分で作ったわけではないので、致し方ないというか、痛恨のところではあるんですけど。