山本陽平

Profile

1975年生まれ。Web関連技術を中心に組込みソフトウェアからインフラまでの設計が主な仕事。2005年ごろからRESTという技術に着目し、ブログを中心に雑誌連載や監訳、講演で国内での啓蒙活動に従事。主な著書に『Webを支える技術』(技術評論社)。
共著・監修に『XML教科書』(ソフトリサーチセンター)、『RESTful Webサービス』(オライリー・ジャパン)などがある。

Book Information

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技術者なので、正しく技術が伝えられていないと「嫌」だと思う



『Webを支える技術』(技術評論社)『XML教科書』(ソフトリサーチセンター)『RESTful Webサービス』(オライリー)などの著者として有名な山本陽平さんは、メーカーのエンジニアとして開発を行いながらも、RESTの伝道師としての顔もお持ちです。そんな山本さんに、ソフトウエアを開発するきっかけについて、ネットや電子書籍についてのお考えなどを伺いました。

最近はビデオ会議システムの端末を開発中


――早速ですが、近況をご紹介いただけますか?


山本陽平氏: 新卒で今の会社に入って、13年目です。現在は、持ち運びができるクラウド型のビデオ会議システムを開発しています。大きさはA4くらいで、カメラとマイク、スピーカーが付いていて、ディスプレイを見ながら、相手とワンボタンで会議やコミュニケーションができる製品です。その端末の中の組み込みのソフトウエアの開発や、後はクラウド側のソフトウエアの開発などに携わっています。

――ウェブのニーズに関する本を著者として出版されていて、何か最近お書きになりたいテーマはございますか?


山本陽平氏: そういうものはあまりないですよね。僕は別に、自分から「本が書きたい」という気持ちが強いタイプではないんです。

――依頼を受けてお書きになることが多いのですか?


山本陽平氏: そうですね。もちろん依頼をいただくのはうれしいですし、本を出版できることはすごいことだと思います。でも、自分自身の欲望として今「新しい本が書きたい」とか「記事を書きたい」という気持ちは、実はないんです。

初出版のきっかけも「ウェブ」から


――最初の本『XML教科書』を出版されたきっかけをお教えいただけますか?


山本陽平氏: 僕は、大学院は奈良にある奈良先端科学技術大学院大学というところに行ったのですが、研究室のウェブサイトにXML関係の先端の情報などを載せていたら、卒業後に出版社の方から「XMLの本を書きませんか」と連絡があったんですね。それが2000年ですね。最初は、原稿もどうやって書けばいいのかわかりませんでした。ちょうど先輩2人との共著だったので、何とか書き上げられたようなもので。



その後の『Webを支える技術』(技術評論社)を書くきっかけになったのは、「REST」(Web APIの仕様を決める上での基本的な考え方)を広めようという話で、XMLの偉い人で村田真さん(日本のソフトウエア技術者/工学博士)がいて、日本電子出版協会でEPUBの仕様策定をされている方なのですが、村田さんとRESTを日本に広める会をやろうと言って、「第八回XML開発者の日」というセミナーを2006年に開いたんです。そのときに技術評論社の編集者が来られていて、名刺交換をしたとき「『WEB+DB PRESS』という雑誌に記事を書きませんか」と言われまして、そこから本になりました。

――技術書を執筆される場合というのは、編集者とどんなやり取りがあるのですか?


山本陽平氏: 『Webを支える技術』のときはもう連載がベースにあったんですが、書き足す部分がすごく多かったですね。原稿のファイルはDropboxで共有していて、僕が1章ずつ書いていくんですけれど、編集者さんが、色々わからないところや、間違ってるところ、疑問点や深めたいところなどを注釈で入れてくれて、それに対してまた原稿を修正してということを繰り返していく感じでした。

――まさに、正しくクラウドを駆使して書かれたんですね。


山本陽平氏: そうですね。

1995年からMosaicに触れて、人生が変わった


――技術の最先端の現場で働かれているということなんですが、最初のプログラミング体験はいつごろだったのでしょうか?


山本陽平氏: 小学校高学年のとき、叔父からNECのPC-8201という小さなパソコンをもらったんですね。画面が白黒の液晶で10行もないくらい。もちろん字しか出ない端末でした。そのときにBASICで簡単なプログラムを作って遊んでいたのが最初です。何を作ったかはあまり覚えてないんですけれど、1つ覚えているのは、F1の歴代チャンピオンのデータベースみたいなものを作っていたことです。

――F1がお好きだったんですか?


山本陽平氏: そう。その当時はすごく好きだったんです。今はもう全然見ていないんですけれど。

――それから、理系に進まれたのですか?


山本陽平氏: はい。高校は理系のクラスでしたね。大学はロボットの開発がやりたくて機械科に入ったのですが、そのころちょうどインターネットが出てきて、94年の年末くらいに『WIRED』(日本語版)という雑誌の創刊号を読んで、「インターネットはすごい」と思いました。そこに「Mosaic」(1993年にリリースされたウェブブラウザー)の情報が出ていたんですね。どうにかして使いたいと思っていたら、大学の情報処理センターみたいなところに導入されていたので、1995年の年明けに行って、初めて触って操作して。それからセンターに入り浸るようになって、インターネットが大好きになっていきましたね。

――そのときの感動はいががでしたか?


山本陽平氏: 僕は山梨大学という地元の大学へ行っていたんですが、急に世界が広がったような気がしました。「NCSA Mosaic」というブラウザーは、今の人が見たらすごくしょぼいと感じるかもしれませんが、当時はとても画期的だったんです。もう今はそこから20年近くたちましたので、ブラウザーもすごく進化していますよね。それで、Mosaicに初めて触れたとき、機械とかロボットの方面ではなく、ソフトウエアの開発をしたいという風に思った。ソフトウエアについては最初独学だったので、ちゃんと勉強したいと思って奈良の大学院に行ったんです。

著書一覧『 山本陽平

この著者のタグ: 『インターネット』 『可能性』 『理系』 『ウェブ』 『XML』 『技術者』

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