今は「遊び半分」で本を読むという余裕がない時代。ぶらぶらと散歩をするような余裕を持って、本や雑誌を読もう。
埼玉大学教養学部卒業後、雑誌『QA』や『ID-JAPAN』の編集者を経て、『大人養成講座』(扶桑社)で作家としてデビュー。以後ユニークな語り口で「大人」文化をけん引するコラムニストとして活躍される石原さんに、本との出会い、また電子書籍について思われることなどをお伺いしました。
幼少期は、一人遊びや読書が好きな子どもだった
――ここ最近のお仕事や取り組みをご紹介いただけますか?
石原壮一郎氏: 最近では9月に新潮社から『職場の理不尽』という新書が出ました。これは岸良裕司さんとの共著になります。今、定期的な仕事としては、紙媒体よりもwebや携帯電話のコンテンツのほうが多いですね。あとは単行本を何冊か並行して進めていたり。そうそう、最近は郷土の名物である「伊勢うどん」の知名度を上げようと、あれこれ頑張っています。太くてやわらかくてコシがないうどんなんですが、とってもおいしいんですよ。
――普段執筆されるのは会社ですか?
石原壮一郎氏: 仕事場の近くに平日寝泊まりする部屋があるんですが、実際に原稿を書くのはそちらのほうが多いですね。執筆はパソコンです。やり取りはおもにメールで、Faxはたまにゲラのやり取りで使うぐらいでしょうか。
――石原さんの読書遍歴をお教えいただけますか?
石原壮一郎氏: 幼少期は、友だちと野山を駆け回るよりは、一人で遊ぶほうが好きでしたね。うちはタバコやお酒の小売店をやっていたんですけども、タバコのダンボール箱というのは大きくて、子どもがそれを切ったりして家の形にしたり、F1にしたりするのにちょうどよかったんですよね。あとは本が好きで、幼稚園の時に小学館の『小学1年生』を1年フライングで買ってもらってすごく大人になった気分を味わいました。翌年また同じ『小学1年生』を買ったんです。なので、2年通して読んで、季節的にネタが重なっているなということがわかって、そこで出版業界の裏側を早くも知った感じでしたね。「季節ネタっていうのは使いまわすのだな」と。あとは怪獣図鑑や普通の図鑑も読みましたし、小学校3年か4年ぐらいの時は、定期刊行されている世界文学全集の子ども向け版も楽しみに買って読んでいたりしました。
――学生時代はどんな本を読まれたのですか?
石原壮一郎氏: 学生時代に好きだったのは、渡辺和博さんのベストセラーで『金魂巻』(主婦の友社)とかホイチョイ・プロダクションさんの初期の代表作である『見栄講座』(小学館)といった系統の本ですね。あとは『埼玉は最高』(冬樹社)っていう本に衝撃を受けました。お笑い本なんですけどね。1980年代前半はサブカルチャーというか、本を色々作りこんでネタ本みたいにするのがはやっていたんです。『埼玉は最高』という本は、埼玉県がいかに素晴らしいかっていう、表紙がグリコのバンザイしているようなデザインで、「埼玉に来たら、こんなお土産を買いましょう」、「埼玉について、こんなことを知っていればモテモテよ」みたいに、せんべいとか五家宝とかそういうのを紹介したり、「埼玉のデートスポットはここだ!」とか、じつは遠まわしに埼玉を笑いものにしている本なんですね。そういうふうに「持ち上げながらもばかにするって、なんて面白いんだろう」と思ったんです。今でもその手の本が好きですね。あとは1990年に出た『ちょっとした物の言い方』(講談社)という本もウイットに富んでいて面白かったですね。この本は、大まじめに日本語の勉強になると思って読む人もいっぱいいると思うんですけども、書いている人は絶対その意図で書いていないだろうという感じのものでした。あとで調べてみると、その本を書いたパキラハウスは、やっぱり人を食ったスタンスが持ち味のところでした。
雑誌編集者から「大人のサブカルチャー」をけん引する存在へ
――本を書かれることになったきっかけをお教えいただけますか?
石原壮一郎氏: もともと雑誌の編集者をやっていたんですけども、その中で自分が書くページみたいなのを少しずつ任せてもらえるようになったのが、自分が書いたものが活字になるという体験ではあったんですね。でもそれよりも前に、「物を書いて人が読んで楽しんでくれて気持ちいい」と思ったのは、小学校4年生のときでした。そのころクラス全員が毎日日記をつけて学校の先生に提出して、一言添えて先生が返してくれるということをしていたんです。日記って基本恥ずかしいものじゃないですか。感動的な話をしてもしょうがないし、普通にお座なりに書いてもつまらない。ある日ふと思いついたのが、トイレに行った様子を、「○○くんとなんとかごっこをして遊んで、かくれんぼをしていたら、急にもよおしてきて、トイレに慌てて駆け込んで、力を入れたらすんでのところで間に合った。でも紙がない」とか、そういう『うんこ日記』を書いて先生に出したんです。そしたら先生が給食中にそれを読んで笑い出して、「石原がこんなものを書いてきた。これから読み上げる」とか言って。それで給食を食べながらそれを聞いてみんなで大笑いした。ものすごくウケたんです。そこで自分が書いた文章がウケるということは非常に気持ちのいいことだと感じたんです。そしたら何日かあとに、友だちが『おしっこ日記』を書いてきました。さらに別の友だちが『おなら日記』を書いてきて……とムーブメントが広がって。僕は、そんな様子を嬉しく見守っていました。「ブームを作ることは楽しいな」って。中学高校の時にも、「ものを書く仕事をしたい」とか、「マスコミっていうのは面白そうだな」と思いましたけど、出版がいいなというこだわりを覚えた記憶はないんです。今振り返ると、その『うんこ日記』からすべてがはじまっていたんじゃないかなと思いますね。
――実際に本という形で出版された時はいかがでしたか?
石原壮一郎氏: 最初に自分の本として出たのが1993年の『大人養成講座』です。もちろん一生懸命に書いたし、嬉しいことにそこそこ反響もあって売れ行きも良かったんですね。でもなにか、あんまり実感として感じられなかったというか、「本が面白かった」と言われても、自分が書いたものとしていまいちピンと来なかった。もう書いてしまったあとは別の存在になるという感じでしたね。あの本はけっこう誤読されて、まじめな本だと思って読んでいる人もいっぱいいるんです。こちらの狙い通りに笑ってくれる人もいるし、まじめに受け取ってそんな汚い大人になんかなりたくないとか。日本人の醜い部分をわざわざクローズアップして何が楽しいんだとか怒る人もいました。そういう風に言われても、褒められても、どうしてなんだか自分でもよくわからないんですけど、どこか傍観者的な目で見ていたところがありますね。
真面目なものを面白く笑えるような提案をしています
――最初は90年代、今は2012年と、もう20年になると思うんですけども、20年間の変性についても教えていただけますか?
石原壮一郎氏: 読み手側の変化として感じるものは、みなさんまじめになったなと思いますね。
『大人養成講座』の出版が93年で、『大人力検定』という本を7、8年前に出したんですけども、言っていることは同じなんですよ。同じような姿勢で、同じように大人っていうものをちゃかそうと思って書いたんですけども、『大人養成講座』は、半分以上の人は冗談の本だっていう、マナーだとか、ルールっていうまじめなものをちゃかすために、わざわざこういう書き方をしているんだって前提で読んでくれたような気がするんですが、『大人力検定』っていうのは、8割方の人がまじめに読んでくれている気がしますね。社会の中で大人として必要なスキルを身につけるために正解を求めている。もちろん、面白がってくれる人がいるから、DSのゲームソフトにしてくれたりとか、別の検定の話をくださったりするんですけども、読者の方はこの本が、お固いビジネス書に載っているような大まじめなものではないということは感じてはいても、何か役に立つだろうと思って読んでいる気はしますね。この検定に書いてある“正解”の通りに行動しなくてはいけないなんてことは、ぜんぜんないんです。あれで最高点の5点になっているとおりの行動を常に取れる人は、もしかしたら「ちょっと気持ち悪い人」かもしれません。
――受け手側がまじめになってきているということですね。
石原壮一郎氏: たまに「なぜこっちが5点でこれが3点なんですか」という質問が来たりするんですが、メールで採点の根拠を聞かれても、そんなことは答えようがないわけですね。「石原さんはどういう理論に基づいてらっしゃるんですか」とか、「心理学の研究をどこでなさったんですか」とかね。あくまで採点は主観に基づいています、としか言えないし、本音を言えば「これを5点にしたほうが面白そうだから」ってことですよね。
――江戸時代の川柳のような、高度な知識に基づいた社会風刺のような感じを受けますが。
石原壮一郎氏: そう読んでくださるととてもうれしいです。
著書一覧『 石原壮一郎 』